
2025年6月3日、“ミスタープロ野球”こと、読売ジャイアンツの終身名誉監督・長嶋茂雄さんが89歳で亡くなった。巨人軍では永久欠番になっている背番号「3」がつく日での他界に、どこまでも「ミスター」だった長嶋さん。
そんな長嶋さんの“人生のハイライト”の一つとなった日が、2013年5月5日の「こどもの日」に執り行われた、松井秀喜氏(50)との国民栄誉賞ダブル授賞式。2004年に脳梗塞で倒れて以降、長嶋さんが公の場で初めてコメントした日でもある。
「ファンの皆様、本当にありがとうございます」
麻痺が残る影響か、少し口ごもった口調ながらも開口一番、ファンの声援に応えてお礼の言葉を口にした長嶋さん。本来は首相官邸で行われる式典だが、ファンが見守る東京ドームでの開催に感慨深いものがあったことだろう。
当時の安倍晋三首相から表彰状、盾、そして記念品の「金のバット」を手渡された長嶋さんと松井氏。この時に着用していたのが、お揃いの濃紺色のスーツだった。
「2人が着ていたのは、ミスターが数十年間にわたってお世話になっていた、テーラー『M』で仕立てたフルオーダーのスーツです」
そう明かすのは、かつてスポーツ紙記者として巨人軍を担当していた野球ライター。式典のために長嶋さんが新調したスーツのようだ。
「都内の店先には看板もなく、連絡先も明かしていないフルオーダー制の工房で、全て紹介で仕事を受ける職人の技が光る工房です。何でも、松井さんからお揃いスーツを“おねだり”されたミスターが、一式60万円のオーダースーツを2人分、120万円をポケットマネーで用意したんですよ」
師弟を超えた父子にも似た関係

1992年のドラフト会議で、競合の末に自ら松井氏との交渉権を引き当てた長嶋さん。入団後は文字通り、手取り足取りでのマンツーマン指導を行い、プロ野球を、後のメジャーリーグを代表する打者に成長した松井氏。
「松井さんは引退後、プロ生活で一番印象に残っていることを“長嶋監督に見守られながら素振りをしたこと”と答えています。2人の間には師弟を超えた、もはや“父子”にも似た絆がありました。
そんな息子のために一肌脱ぐのは、ミスターとしても嬉しい限りでした。一世一代の大舞台に特別なスーツを揃えたわけです」(前出・野球ライター)
授賞式から4日後の5月9日、ニューヨークへの帰路に向かう松井氏の一方で、旧読売巨人軍多摩川グラウンドに久方ぶりに帰ってきた長嶋さん。
「今日は暖かいな。聖地多摩川でやることは素晴らしい。さあ行こう! GO!!」
東京ドームのグラウンドを目指して練習する、若手選手に向けた長嶋さんの眼差しは、松井氏を指導していた監督時代さながらの鋭さだった。