
6月3日、周囲を笑顔にさせる天真爛漫なキャラクターでプロ野球ファンのみならず、多くの国民から愛された長嶋茂雄さんが亡くなった。1958年のプロデビュー以来、常に話題の中心であり続けた“ミスタープロ野球”の訃報に、ショックを受けた人も多いだろう。
読売ジャイアンツ終身名誉監督として、89歳まで“現役”であり続けた長嶋さん。そんな故人を、2007年に先立った妻・亜希子さんに代わって支え続けたのが、元テレビ朝日局員でスポーツキャスターの次女・長島三奈さんだ。
2004年に脳梗塞で倒れた際には看病、リハビリにも付き添い、退院後は介護を要する日常生活をサポートしてきた三奈さん。そんな彼女がもっとも苦労したのが、長嶋さんの食事だった。
かつて現役時代の長嶋さんの特集番組にも携わった元テレビマンの話。
「もともと中華や寿司、ステーキや焼き肉といった肉類など味の濃いメニューが大好物だった長嶋さん。寿司にしても、ネタにしょうゆや塩をべったりつけて食べるのがミスター流でした。
そんな食生活を続けては“再発”の可能性も頭によぎった。そこで三奈さんは食事に塩分制限を設け、メニューを細やかに管理するようになったそうです」
父親に長生きをしてほしいのは娘として当然の思い。自宅での食事はもちろん、近所の行きつけ店にまで“お達し”が届いていたのだとか。
「“父に塩分をあまり摂らせないでください”と、お寿司屋さんではしょうゆの代わりにレモン汁をつけたり、現役時代から通った焼き鳥店でも減塩メニューが用意されたそう。自身の健康を気遣ってくれているとはいえ、食べることが大好きだったチョーさんにしてみれば……ねぇ(笑)」(前出・元テレビマン、以下同)
年間200件にも及ぶ“お誘い”オファーが

そんな長嶋さんだが、時には“ささやかな反抗”に出ることも。巨人軍監督を勇退して以降も、プロ野球やスポーツ関係以外にも、政財界や各方面から食事会や交流会のお誘いオファーが舞い込み、その数は年間200件に及ぶことも。
自宅がある田園調布から離れた“遠征先”での、いわば“仕事”とも言える食事会は、娘の目から離れて好物を楽しめる機会になったわけだ。
「たとえば南麻布にある懐石料理店。2004年のアテネ五輪からの馴染みの店で、2013年に国民栄誉賞受賞が発表された時も来店しています。同店のメニューは“おまかせ”懐石コースのみだけに、チョーさんもやむなく大将に“おまかせ”するしかないと。
もちろん、その後は大病もなく89歳まで元気でいられた背景には、三奈さんの献身サポートがあったのは言うまでもありません。おそらく、たまの父親の“反抗”も織り込み済みで、普段の食事メニューも考えられていたと思いますよ」
長嶋さんの朗らかな笑顔は、三奈さんの支えがあってこそだった。