目次
Page 1
ー 生前に交わした“約束”を果たす日

 日米通算507本塁打を放った松井秀喜ヤンキースGM特別アドバイザーが6月4日に緊急帰国し、前日3日に肺炎で亡くなった長嶋茂雄巨人軍終身名誉監督の弔問に訪れた。午前5時から約2時間の弔問を終えた松井氏は報道陣からの質問に対応した。

生前に交わした“約束”を果たす日

 松井氏は「私に授けてくれたすべてにありがとうございますと伝えさせていただきました」と語り、恩師の死を悼んだ。その後の報道陣とのやり取りでは、長嶋さんとの思い出や訃報を聞いたときの胸の内などを話しつつ、以下のような発言をした。

「長嶋監督と生前、約束したこともありますので。ここではお話しはできませんが、その約束を果たしたいなと思います」

 報道陣に向かって恩師の意思を受け継ぐ強い意志と覚悟を見せた。松井氏の発言を耳にしたネットからは以下のような反応が。

《松井のここでは話すことはできない約束ってなんだ? 期待しちゃう》
《長嶋茂雄のレガシィを継承して新しい時代を創るのは松井秀喜しかいないだろう》
《巨人の監督になるということかな? もしそうだとしたら、ぜひ見てみたいです》

 長嶋さんとの約束を知りたいという声や、松井氏の読売ジャイアンツ監督就任を期待する声も出ている。

「松井さんと長嶋さんはご存じのように固い絆で結ばれていますが、松井さんが長嶋さんの言うことを聞かなかったことがありました。ひとつはヤンキースへ移籍するときです。長嶋さんは巨人残留を望みましたが、松井さんは断りました。

 もうひとつは巨人の監督になること。長嶋さんは何度も松井さんに声をかけたようですが、彼が首を縦に振ることはありませんでした」(スポーツ紙記者、以下同)

 松井氏が監督就任に難色を示していたのは、昨年亡くなった読売新聞主筆・渡邉恒雄さんの存在と“巨人軍鉄の掟”があったからだという。

「松井さんが巨人からFAでメジャーリーグのヤンキースに移籍したとき、渡邉さんは『二度と巨人軍の敷居は跨がせない』と言うほど激怒したんです。そのためか、松井さんは、渡邉さんの影響力が強かったころの巨人とは距離を置いていました。

 また、巨人は『現役時代をジャイアンツ一筋で過ごし、なおかつ四番打者かエース級の投手でなければ監督になれない』という不文律があります。松井さんは四番打者として活躍しましたが、巨人一筋ではないので気にしているのでしょう」

 しかし2015年、松井は高橋由伸氏が監督に就任した際に「後輩のため」と臨時コーチを引き受け、巨人との交流を復活させた。その際に打撃開眼したのが現在の主砲である岡本和真だ。2024年も後輩の阿部慎之助監督からの要請で臨時打撃コーチを引き受けている。

 松井氏自身も昨年放送された『情熱大陸 イチロー 2夜連続スペシャル』で「(今後は)長嶋さんが喜ぶことはしたい。長嶋さんが元気なうちに」と監督への意欲ともとれる発言をしている。

「松井さんの発言を聞いた巨人軍オーナーの山口寿一さんも今年のはじめに、松井さんの将来的な監督就任について『そういうふうになるといいですよね』と報道陣に向かって話し、前向きな姿勢を見せています。今の監督は阿部さんですが、松井さんが次の監督の最有力候補になったと言えるかもしれません」

 阿部巨人は昨年、セ・リーグを制し、現在もAクラスをうかがう戦いを見せていて、監督としての手腕が評価されている。すぐに松井氏が監督になる可能性は低いが、いつかジャイアンツのユニフォームを着る姿が再び見られるかもしれない。そのときの背番号はきっと「55番」だろう。