目次
Page 1
ー 長嶋さんが“やり残した夢”
Page 2
ー 表彰台に立つ大谷選手を思うと興奮します

 日本時間6月3日、大谷翔平はロサンゼルスの夜空に高く舞い上がった白球の行方を見つめ、何度もうなずいた。23号ホームラン。長嶋茂雄さんにささげる追悼アーチとなった。

長嶋さんが“やり残した夢”

「ドジャースの試合開始2時間前に長嶋さんの訃報が届きました。その1時間後に大谷選手はインスタグラムを更新しましたが、試合直前に投稿するのは異例。《心よりご冥福をお祈りいたします》という言葉とともに2025年3月に東京ドームで対面したときの写真などをアップしていました。その直後の試合でホームラン。大谷選手にも思うところがあったのかもしれません」(スポーツ紙記者、以下同)

 2人の初対面は大谷が日本ハムに所属していた2016年、『スポーツ報知』の対談だった。

「当時の大谷選手はスターへの階段を駆け上がっている途中。大谷選手は長嶋さんについて“あんなにオーラを感じさせる人はいなかった”と初めての対面を振り返っていました。そこからは度々会って食事などをしていたそうです」

 2人の英雄は、ある縁でつながっている。幻となったが、長嶋さんにもドジャース入りの話があった。

「1961年、ドジャースのキャンプ地のフロリダで巨人もキャンプを実施。そこでドジャースのオーナー、ウォルター・オマリーさんが長嶋さんのプレーを見て勧誘したんです。長嶋さんもメジャーに憧れがありましたが、巨人の正力松太郎オーナーが移籍に反対して、実現しませんでした」(スポーツライター、以下同)

大谷翔平が長嶋茂雄さんとのツーショットを投稿。2025年6月3日、長嶋さん死去の知らせを受けて(公式インスタグラムより)
大谷翔平が長嶋茂雄さんとのツーショットを投稿。2025年6月3日、長嶋さん死去の知らせを受けて(公式インスタグラムより)

 メジャー挑戦以外にも、長嶋さんには志半ばで断念せざるをえなかったことがある。

「2004年のアテネ五輪で日本代表監督に就任していましたが、五輪を前に脳梗塞で倒れました。それでも長嶋さんは“死んでもいい”とリハビリをしてアテネに行くつもりでしたが、周囲の説得で断念。オリンピックで指揮をとれなかったことが、かなり悔しかったようで“やり残した夢”と語っていました」