約1500人に上る犠牲者
戦火から沖縄の子どもたちを救おうと、終戦1年前の1944年8月21日夜、対馬丸は沖縄・那覇港を出港して長崎を目指した。翌22日夜10時過ぎ、鹿児島県トカラ列島の悪石島北西約10キロの洋上で、アメリカの潜水艦ボーフィン号の魚雷攻撃を受けて沈没した。対馬丸には、学童や一般の疎開者、教員らが乗船していたが、現在、判明している犠牲者は、約1500人に上るとされる。
今回、両陛下らと懇談した、記念館を運営する公益財団法人・対馬丸記念会代表理事で生存者の高良政勝さんは、4歳のとき、家族11人で対馬丸に乗り込み、9人が犠牲となる中、17歳の姉と2人だけ生き延びた過酷な体験を持つ。両陛下と愛子さまは、高良さんたちの話に熱心に耳を傾けていた。
対馬丸が撃沈されてから80年の節目だった昨年、この連載で対馬丸の悲劇を紹介したことがある。その中で、'14年8月、秋篠宮ご夫妻の次女、佳子さまは家族と一緒に、東京で開かれた「学童疎開船を語り継ぐつどい2014」に出席し、対馬丸事件の生存者に会い、犠牲者たちに黙祷を捧げたと触れている。
この年の11月、49歳の誕生日を前にした記者会見で、「両陛下(筆者注、現在の上皇ご夫妻)から戦争や慰霊についてどのようなことをお聞きになり、どのように受け止められていますか。また、お子様にはどのように伝えていますでしょうか」と記者から尋ねられた秋篠宮さまは、次のように答えた。
「私が本当に子どものころから、たびたびに両陛下から戦争の話を聞きました。(略)非常に頻繁に沖縄戦の話を聞き、またそれに関連する映画を見たりいたしました。その後もたびたびに戦争のときの話を聞く機会があり、私たちは、戦争というものを二度と繰り返してはいけないということを強く思ったわけです」
「両陛下にとって、戦争の記憶を風化させることがないようにするという気持ちが非常に強くて、それが国内、それから海外での慰霊というものにもつながっていると私は理解しております。
子どもたちについてどのように伝えているかということですが、私たちも時々戦争の話を自分が知っている範囲で伝えることはあります。一方、子どもたちが御所へ伺ったときに、折々に両陛下から、その当時のことについてのお話がありました(略)今年が学童疎開船対馬丸の悲劇から70年という節目の年ということもあり、その行事に家族で出席をしたわけです」