人生で初めて自分で選んだ結婚相談所の仕事
説得しようと香川へ向かった田岡さんだったが、厳格な母は結婚を許さず、逆にUターンを拒み続けていた田岡さんを実家へ留め置いた。結局28歳のときに会社を辞め、母と祖母と暮らすことになってしまう。
「子どものころから無意識に『下の立場の者は上の者に従わなくてはいけない』と刷り込まれていたんでしょうね。だから何か発言したり、上の人の意見を覆したいのなら、それなりの実力をつけて結果を出さないとダメ、という考え方になっていたんだと思います。だから私は母の言うことを聞くことが当たり前でした。母も私も、本当は相手に甘えたり、喜んでほしい気持ちがあった。だけどお互いにそのやり方がよくわからなかったんですね」
香川へ戻って2年、母娘関係は修復されたものの、結婚の許しは出ないまま。田岡さんは逃げるように東京の彼のもとへ戻った。
「この時点で私は30歳。人生どうなっちゃうんだろう、という不安な日々でした。そんなとき久々に友人と会うために外へ出かけようと髪をとかしていたら、ゴッソリ毛が抜けてしまって……よくよく鏡で見てみると円形脱毛症が4か所もあって、髪が全体的に薄くなるくらいまで抜けてしまったんです。元に戻るまでの約半年間、どこへ行くにも帽子をかぶり生活しました。2年間のストレスが一気に出たんでしょうね」
とはいえ仕事を始めたい気持ちもあった田岡さんは、職探しのためパソコンを開いた。結婚が許されない状況が長く続いていたため、結婚にまつわることばかりを検索していたという。そこで見つけたのがウエディングプランナーや結婚式場での仕事だった。
「私の代わりに誰かが幸せになっているところを見たかったんですよね、もう疑似体験ですよ(笑)。それで、誰かの幸せに携わる仕事がしたいと思ってあれこれ検索したところ、『結婚相談所コンサルタント』という仕事が出てきたんです。それまで結婚相談所なんて考えたこともなかったので、『結婚したい人の相談に乗る仕事もあるんだ。結婚したくてもできない私みたいな人がお客さんなら、気持ち超わかる!』と思って、すぐにアポを取って面接に行きました。このときは自分でもビックリするくらい行動が素早かったですね」
念願の結婚相談所で働くことになった田岡さんだが、彼とのすれ違い生活が始まる。
「とにかく仕事が楽しくて、会社からも期待されていて、やっとやりたいことを見つけたという感覚もありました。また自分が頼られる経験がなかったので、その願いに応えたいと奮闘していたんです。そして会員さんが実際に結婚されると『私が人生を変えたんだ!』という、ちょっとおこがましいですけど、誰かの人生の分岐点に立ち会えたという感動があったんです。
ところが私には極端なところがあって、仕事にのめり込んでしまったんですね。それが結果的に、自分の人生に重きを置かなくなってしまったんです」
順調に昇格する田岡さんは会員だけではなく上司の要望にも応え、後輩の育成も担当、出張して研修して……と自分の持ち回りが多くなり、忙しくなっていった。
「これまでの私の人生って、進学も、就職先も、結婚できないことも、言ってみればどれも母の期待に応えようとしていた選択でした。でも結婚相談所のコンサルタントは初めて自分で選択したこと。その仕事が充実していて、楽しくて、自分なりに自分の人生を生きているつもりだったんですが、いつの間にか『誰かのため』が大きくなって、自分がなくなってしまっていたんですね。
会員さんに結婚をすすめていることと反比例して、自分の『結婚したい』という気持ちがいつの間にかなくなってしまった。しかも残業したり休日出勤をする生活が続いて、家事が疎かになって。そのころの私には『家事は女がやること』という呪縛があったので、やってあげられない私はダメな人間、という気持ちがどんどん募っていきました。そんな日が続いて、気づけば『ひとりになりたい』と思うようになっていました」
田岡さんは同棲を解消、彼との別れを決めた。