「結婚したい」が「結婚しなきゃいけない」に

ゲイ専用結婚相談所「ブリッジラウンジ」店長・田岡智美さん(撮影/矢島泰輔)
ゲイ専用結婚相談所「ブリッジラウンジ」店長・田岡智美さん(撮影/矢島泰輔)
【写真】「藤井フミヤと結婚する」と母に宣言していた頃の田岡さん

 店長に昇格した田岡さんは会社トップが集まる会議に参加するなど活躍していたが、上司たちからは「結婚しないのか?」「早くしないと子どもが産めなくなるぞ」と言われ、会員からも「あなた結婚しているの?」と問われることが多くなった。30代前半の田岡さんは「結婚」という手札がない自分は信用に値しないのでは、と思いつめる。

「それ以降、会員さんに『結婚してるんですか?』と聞かれたら『しています』と言うようにしました。でもそうすると、次に出てくる言葉は『お子さんは?』なんです。でもひとつ嘘をついているので、そのまま『いますよ』と答えると『仕事の間はどこかに預けているの?』と質問が来る。ひとつ逃げても、次の質問が追いかけてくるんです。

 こうなってくると、とても楽しかった仕事で何をしていいのかわからなくなってしまって。しかも女性のお客様へ“子どもを望むなら早めに婚活したほうがいい”と言ってきた私に、その年齢が近づいてくる。自分のことを後回しにしている場合ではないのではないか、という思いがどんどん大きくなって、焦っていたんです」

 そんなことを考え続けていたある日、仕事帰りの電車でポロポロと涙が流れて、止まらなくなってしまったという。仕事をしたいからと別れたのに、ひとりになったら独り身を責められているような感覚になって、自信を失ってしまった。

 さらに彼と別れたことを知った母からは「結婚しないなら香川へ帰ってきなさい」と矢の催促が来ていた。

「結婚すれば今のこのつらさは全部なくなるかなと思ったのが35歳のとき。『結婚したい』と思って始めた仕事が、『結婚しなきゃいけない』に変わってしまっていたんですね。そんなとき久々に同棲していた元彼と会うことになって、お互いに結婚の話になって……好きとかそういう感情はもう全然なかったけれど、『結婚しなきゃいけない』と考えていたことだけで結婚することになって、仕事を辞め、36歳のときに結婚式を挙げました」

 反対していた母親は喜んでくれたというが、田岡さんのテンションはまったく上がらないまま、結婚式当日を迎えてしまう。

「よかったね、おめでとうと言ってくれる人に対して『ありがとう』と答えている私は冷めた気持ちで、『母が喜んでくれているからいいか』と思っていました。でもみんな口をそろえたように『今、おいくつ? じゃあ早く子ども産まなきゃね』と子どもの話しかしないんです。結婚したら全部楽になる、と思って逃げてきたはずなのに、ここでもまた次の質問が追いかけてくる。盛り上がっている会場でひとりつらくて……終わってすぐに着替えて、逃げるようにして家へ帰りました」

 結局、彼とは籍を入れないまま気持ちがすれ違い、40歳を過ぎたころに再び別れることになった。

結婚を手放してようやく身軽に

 職場だった結婚相談所の元社長から紹介された会社での仕事を始め、ひとりの生活にようやく慣れてきたころ、「男性同性愛者向けの結婚相談所で、対応を手伝ってくれないか?」という話が舞い込んでくる。

「元社長の部下が事業を始めるにあたって人を探していたそうで、ある日、喫茶店に呼ばれて『田岡、おまえやってみないか?』と言われたんです。その瞬間、もう本当に何の根拠もないんですけど『ああ、これは人生が変わるんだ!』と感じて、業務内容の詳細は何も知らなかったのに『やります!』と即答したんです。

 よく『結婚する運命の相手と初めて会ったときにビビビッときた』という話がありますけど、私のビビビッは人生で今のところこのときだけです(笑)。喫茶店からの帰り道、なぜかすっごいうれしくて、まだ何も始まってないのにワクワクして、フワフワしている自分がいました。

 2016年の初め、私が42歳になったばかりの冬の出来事でした」

 新宿の大通りから一本入った場所にある小さなマンションの一室で、今では田岡さんが“天職”という男性同性愛者向けの結婚相談所のコンサルタントの仕事が始まった。

「店長兼接客係の私と事務仕事をする社長、そして机と椅子が置いてあるだけのオフィスでした。冬はすきま風が入ってくるので、コートを着込んでいないと寒くて仕方ないようなところで(笑)。でも新しいことが始まるワクワクのほうが大きかったですね」

 広告を見てポツポツと訪れる人たちに入会の説明が終わると、お茶を飲みながらいろいろな話をしたことが、今の田岡さんの仕事のベースになっているという。

「結婚相談所で働いた経験はあるけれど、男性同性愛者同士のことは初めてなので、いろいろと知りたい、勉強したいんですとお願いしました。これまでの人生や、嫌だったこと、この先どう歩みたいのか、私との会話の中で不快に感じたことがあるかなど、いろんなことを質問しました。知らない言葉が出てくると『それは何?』と質問をして教えてもらい、メモを取ってからエクセルに打ち込んで、ゲイ用語を頭の中に叩き込んでいました。

 初めて知ったので驚くこともたくさんあったのと同時に、これまで私が無意識に『普通』という物差しで考えてきたことで、彼らをどれだけ差別したり、傷つけてきたんだろうと反省しました。そこから『これは社会を変えていかないといけないな……でも私に何ができるんだろう?』という問題を考え始めるようになりました。また私が女性の異性愛者でゲイの方の恋愛対象外なので、男女の結婚相談所でついていたような嘘をつく必要がなく、本音でぶつかれたのも大きかったですね」