これまでの経験は無駄になっていない
ところが田岡さんが45歳のとき、会社の体制にも変化があり、自分の役割をあらためて見つめ直すことに。
2019年2月、区切りの時期を迎え、会社を離れる決断をした。
「辞めたものの会員様のことも忘れられず、ずっと家に引きこもって、これからどうしよう……と何にもやる気が起きない日々でした」
退職の噂を聞きつけて連絡してきたのが、ユキさんとアキラさんだった。
「おしゃべりしませんかと連絡して、ウチに来てもらったんです。気丈に振る舞っていたけど、自信を喪失していたので、あなたに担当してもらえてよかった、相手の警戒心を解いて、信頼させる力はダントツに持ってるから、と伝えました」(ユキさん)
ほかにも担当していた人たちから連絡があり、無理やりにでも外へ引っ張り出してもらったことで、もう一度やってみようと思えたと田岡さんは笑う。
「この当時、同性愛者向けの結婚相談所はなかったので、『ここしかない!』と面接をしていただけるよう連絡をしました」
5月、晴れて採用となったが、このときは業務委託という形だった。そしてサービス開始に向け忙しく準備する日々を経た7月、期末の社員総会で思いもしなかったことが起きる。
「ブリッジラウンジの部署で働いているのは私だけだったので、スクリーンに業績を映して報告をする仕事は弊社の代表が担当して発表が終わると、スクリーンがパッと切り替わって、画面いっぱいに『田岡さん』という文字が出てきたんです。『えっ、私?』と思った次の瞬間、『社員になってくれますか?』と出て! もうこんなに泣くかというくらい泣いて……この日のことは一生忘れられないです」
以降、店長としてブリッジラウンジをひとりで運営する日々が始まった。タイプや相手への希望も然ることながら、天気の話や休みの日に何をしたといった他愛もない会員との雑談や、その人なりの独自の視点などからヒントを得て、日々マッチングを考えているという。
そうして出会ったユキさんとアキラさんから二人が住む家へ招かれた田岡さんは、箸を贈ろうと思い店へ行ったが、夫婦箸は男性用の箸と女性用の小さい箸がセットになっていて、男性用の箸を二膳選ぶと贈り物用の箱に収めることができず、そのことに「どうして?」と憤ってしまう。結局、店員に無理を言ってなんとかひとつの箱に詰めてもらい、二人にプレゼントしたそうだ。
「田岡さんは僕らのそういう“生きにくいところ”を理解してくれて、一緒に怒って、考えてくれる人なんです」(アキラさん)
世の中で「普通」とされていることに疑問を持ち続けてきた田岡さんは「これまでの経験はすべて今の仕事に生きていて、無駄になっていません。相談をされると『ああ、あのときのことと同じだな』と思えるんです」と言う。その経験から導き出された幸福論は、田岡さん自身の筆によって『素敵なご縁に恵まれて結婚やめました』(KADOKAWA)という一冊の本にまとめられた。編集を担当した内藤さんは「読者の人生に響く本になりました」と、その内容と出版を心から喜ぶ。
現在の仕事で迷ったことは一度もないという田岡さんは、ひとりでも多くの人が正しい知識を得て、誰かが誰かと手をつないで歩いていても、誰も好奇の目で見ない世界になってほしいと願っているという。
「私がこの仕事を始めたころに比べ、同性婚に対しての社会の考え方は変わってきています。なのでこの先、ゲイの方の悩みもまた違った悩みになっていくと思うんですね。私はお客さんと関わりながら人生を終えられたら最高だなと思っているので、お茶を飲みながら『こういうのつらいよね』とか『じゃあ、こうしたほうがいいかもね』という話をしながら、いろいろな悩みを聞いて、価値観をアップデートして、時代に合った相談に応えられるよう、これからも接客を続けていけたら一番いいですね」
世間の“普通”を脱ぎ捨てて軽やかに生きる田岡さんは、人の数だけ幸せがあることを今日も伝え続ける。
<取材・文/成田 全>