暴言、暴力、徘徊…逃げ場のない試練の日々

 その後、4年間は父が一人で介護していたが、実家に連絡して様子をうかがうと、優しかった桂子さんが別人のように怒りっぽくなっていた。

「暴言や暴力など、BPSDと呼ばれる症状が出てきてしまって。徘徊も始まり、夜中に家を出ていこうとするため、父も眠れずお手上げに。私が30歳、母が65歳の時に改めて東京に呼んだんです」

 とはいえ、岩佐さんも仕事が忙しくなっていたため、つきっきりでいることはできない。要介護認定を受け、日中はデイサービスに桂子さんを預かってもらうことを検討。

「東京で認知症の診察をしてもらわないとデイサービスも利用できなくて。でもどこも数か月待ち。すぐに診てもらえる病院がなく5軒は回りましたね。本当にへとへとになりましたが、ある日病院で母が“まりちゃんわかってるからね……”とつぶやいたんです。既に会話が支離滅裂だったのにそこだけはっきり聞こえて。涙があふれました」

母が徐々に変わっていく中、自分が絶対に母を支えると決意した(写真は岩佐まりさん提供)
母が徐々に変わっていく中、自分が絶対に母を支えると決意した(写真は岩佐まりさん提供)
【写真】ウェディング姿で母・桂子さんとツーショット

 無事利用が決まった後は、仕事後にデイサービスに迎えに行き、夕食を一緒に食べる日々。しかし、暴言、暴力は日常茶飯事で岩佐さんの疲労はたまっていく。徘徊もあり警察沙汰になったことも。

「徘徊は何度かあったんですが、一緒に買い物に行ったスーパーでも、ほんのわずか30秒目を離した隙にいなくなってしまって。警察やケアマネジャーさん、デイサービスの方にも協力してもらって捜しましたが、そのころの母は60代で、一般的には元気な世代。一人で外を歩いていても不思議に思われず、なかなか見つかりませんでした」

 結局3時間ほど捜し回って、デイサービスのスタッフが桂子さんを発見。なんと、3キロ離れた隣町まで行ってしまったという。

「捜している間は、サイレンを聞くたびに母が事故に遭ったのではないかと気が気じゃなくて。目を離したからだ、と自分を責めて、地獄のような時間でした。無事見つかって心底ほっとしました」

 こうして仕事と介護だけの生活を続けるうち、ついに岩佐さんは限界を感じる。

「ある日ケアマネジャーさんに“もう無理かも”と愚痴ったんです。すると、“土日だけでも、ショートステイを利用して、自分の時間をつくったほうがいい”と。それまで自分が家にいるのに母を土日預けることに抵抗を感じて利用していなかったんです。でも“あなたが息抜きをして心に余裕を持つほうが、お母さんにとってもいい。自分の人生を大事にしないと、介護は続けられない”と言われて」