中島みゆきの新アーティスト写真(公式サイトより)
中島みゆきの新アーティスト写真(公式サイトより)
【写真】現在とは雰囲気が全く違う、ポーズを決める20代の中島みゆき

 早い段階で“完成”されていた中島だが、持ち前のチャレンジ精神がさらなる成長につながったようだ。

「本人が“ご乱心の時代”と振り返る1984年から1988年の間に音楽性を模索し続け、1989年からは“言葉の実験劇場”をコンセプトにしたコンサートと演劇を融合させた舞台『夜会』を継続的に開催。その結果、表現の幅をより広げることに成功したと思います。1990年に発売したアルバム『夜を往け』に収録された『with』は、それまでからさらにひと皮むけたと思いましたね」

『with』は抽象的な表現を多用しながら、他者に寄り添う気持ちを慈愛にあふれる声で歌ったバラード曲だ。

混沌とした心の内面を、むき出しのまま臆面もなく書く。あそこまで自分をさらけ出すような歌詞を書ける歌手は多くありません。中島さんは完全無欠のシンガー・ソングライターです

鳥居みゆきが熱弁、“涙活”としての名曲たち

 人間の持つ負の部分や弱さに寄り添うような曲を多く作る中島。芸人の鳥居みゆきも、そんな中島の世界観に魅了されたファンの一人だ。

私の本名は漢字のみゆきなのですが、中島さんが好きすぎて、芸名はひらがな表記にしたんです。もともと父親がファンで、幼いころからずっと聴いていました。中島さんの歌は私にとって身近すぎて、もはや“環境音”でしたね。家族でドライブすると、カーステレオで延々と流していました。道中、頻繁に『世情』が流れるんですけど、あの曲って『金八先生』で“腐ったみかん”と言われた不良の加藤が警察に連行されたときに使われた重めの曲じゃないですか。楽しい家族旅行なのに、家族全員の顔つきが暗くなっていくんですよね」

 奇抜でハイテンションな芸風で知られる鳥居だが、自身の性格をネガティブと評しており、落ち込むことも少なくないという。

今でもマイナス思考。毎日“もうダメだ”とか“このまま生きていていいのか”と考えているんです。そんな性格だからか、中島さんのしんみりとした曲が刺さるんですよ」(鳥居みゆき、以下同)