会社員のような安定はないが、自由度の高い仕事は自分に向いていたという。仕事を調整しながら40代でバックパッカーデビューし、旅をしながら世界40か国で絵を描いた。

50歳で初めて、アメリカ留学にも行きました。ところがニューヨークに到着した翌日に、あの9・11のアメリカ同時多発テロが起きたんです

アクションを起こさないと物事は始まらない

 テロ現場は、滞在中のアパートから徒歩で行ける距離。殉職した警察官や消防士らの家族も多く住んでおり、葬儀の絶えない日々が続いた。

『愛07』柴崎春通作品集(オレンジ)より
『愛07』柴崎春通作品集(オレンジ)より
【写真】凄すぎる! 柴崎さんが描いた水彩画の数々

留学期間は3か月しかありませんから、そんな状況でも僕は路上で絵を描き続けました。そうするとどこからか僕の存在を知った人々が、亡くなった警察署長の絵を描いてほしいと頼みに来たんです。これがきっかけで出会いが生まれ、現地では殉職警察官遺児のためのチャリティー展を開くことができました

 この活動により、アメリカ政府から文化推進者賞とニューヨーク市警察栄誉賞を受賞。翌年には現地で個展も開いた。

ニューヨークでは、道端で絵を描いていたら知らない人がどんどん話しかけてくる。アクションを起こさないと物事は始まらない! それを、身をもって体験しましたね

 年齢を重ねても、持ち前のチャレンジ精神で新しいことに取り組み続けてきた柴崎先生だが、実は6度の心臓手術を経験している。初めて異変を感じたのは60歳を過ぎてからだった。

運転中に突然胸が苦しくなり、このときばかりは死ぬかもしれないと思いました。車中でしばらく休んでなんとか帰宅し、翌日に病院に行ったら、すぐに入院する必要がある、と。数日後に仕事でタイに行く予定があったんだけど、先生にダメだと言われて。でも行っちゃった(笑)

 帰国後まもなく、入院して手術をすることとなった。

当時、アメリカから入ってきたばかりという最新治療を試すことになってね。カエルで実験しているから大丈夫と言われたんだけど、俺はカエルじゃないよ、って(笑)。全身麻酔ではなく覚醒した状態で、先生や、製薬会社の人の会話が聞こえてくる中、7時間の大手術でした

 その数年後には大腸がんを患い、このときも手術を受けたというが、「何年前だったかな? もう忘れちゃったよ」と豪快に笑い飛ばす。

僕だって、そのときはさすがに落ち込みました。でもね、絵を描き始めると、病気のほうに向いていた気持ちが絵のほうに向くんです。だから気分が全然違ってくるんだよね。病室でも、そろそろ手術室に行きますよと声をかけられるまでずっと描いてましたから

 手術や入院を繰り返していた時期も、絵を描くことだけはやめなかった。病状が落ち着いてからは個展も再開したが、ふと「最近、ずっと同じことばかりしているな」とくすぶった気持ちが湧いてきた。

そんなときに息子が、YouTubeだったら世界中の人に絵を見てもらえるよ、と言ったんです。新しいことにすぐ乗っちゃうタイプだから(笑)、よしやろう! って