必死に集めたメンバーで結成

 萩本欽一さん、ビートたけしさんら浅草出身の芸人に憧れて、お笑いの世界を目指し始めたという肥後さん。そして、渋谷道頓堀劇場の門を叩き、喜劇俳優の故・杉兵助さんに師事。そこで、コント赤信号に出会うことになる。

「当時は、(肥後さんの地元である)沖縄出身のお笑い芸人は誰もいなかったし、芸人として成功するなんて夢のまた夢。だから、お笑いの世界をちょっと体験できればいいくらいにしか考えていなかったですね」

 そんな肥後さんに大きな転機が訪れる。コント赤信号のリーダー・渡辺正行さんから、自身が主催する『ラ・ママ新人コント大会』への参加をすすめられたのだ。この大会は、ウッチャンナンチャン、爆笑問題、バナナマンなどの芸人を輩出した、登竜門的なお笑いライブ。

 先輩の渡辺さんの誘いに即、了承する肥後さん。しかし、ライブ直前になってもネタどころか、メンバーも決まっておらず、その状況を知った渡辺さんに激怒されてしまう。肥後さんは慌ててメンバーを集め、ネタを作った。それが、ダチョウ倶楽部の誕生である。

「ラ・ママに出たのは、渡辺さんに怒られたからだけです(笑)。でも、あそこに出なかったら、たぶん何年か後には沖縄に帰っていたでしょうねえ」

 その後は、テレビでもコントを披露して活躍。さらに『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ!!』『スーパージョッキー』(共に日本テレビ系)に出演し、リアクション芸人として人気を博するように。しかし、そこでも多くのお笑い先輩芸人への“頼る力”を発揮している。

「最初はリアクションを取るといっても、何をしていいのかまったくわかりませんでした。ありがたいことに、実は芸として緻密に組み立てられている“熱湯風呂”などのリアクションをたけし軍団さんたちに間近で見せてもらい、衝撃を受けました。

 僕たちにはそれができない。だから、リアクション芸自体をコントとしてやることにしました。そこで生まれたのが『どうぞどうぞ』や『押すな押すな』だったんです」