きっかけは、今年5月に開催された『THE SECOND』(フジテレビ系)。結成16年以上の漫才師に限った賞レースに、ザ・ぼんちは30~40代のコンビにまざり予選から参加。
ベテラン風を吹かしたら自分たちが終わる
後輩たちにまったくひけをとらない……どころか、かつての活躍ぶりを凌駕するキレキレの漫才を披露。観客席からはどよめきも巻き起こった。決勝トーナメントでは金属バットに惜しくも2点差で敗れたものの、会場を大いに沸かせた。
「大変な反響でした。終わったあと、西川きよしさんや、鶴瓶さんや、いろんな方から電話もらってね。洋七(B&B)は、“あの'80年代の漫才ブームのすごさ、改めてみんなに伝わったと思う、ありがとう”と泣いてました。またまた、嘘の涙やろ! と電話越しにツッコんだけど(笑)、僕も涙が出たね」(まさと)
ふたりが何よりうれしかったのは、それまでザ・ぼんちを知らなかった10~20代の若者たちからも、「笑いすぎて腹ちぎれた」「ザ・ぼんちってこんなに面白かったんだ」など、SNSで称賛の声が相次いだことだ。
「出場にあたっては、周りから心配もされました。でも、劇場で後輩たちが頑張る姿に刺激をもらってね。僕らも挑戦しなきゃ、と」(まさと)
「ベテラン風吹かして、ふんぞり返ってなんていられません。それをしたら、そこで自分たちが終わってしまいますから」(おさむ)
レジェンドと呼ばれる存在でありながら、まったく偉ぶらず、舞台を降りると孫ほども年の離れた後輩芸人やスタッフにも気さくに接する。
今も若手らと全国の劇場を回り、ひたむきに芸に邁進するその姿勢は、決して順風満帆ではなかったこれまでの芸人人生から生まれたものだ。
同い年のふたりは、大阪・天王寺の興國高校の同級生。ただ、在学中は顔見知り程度だったという。
「僕は野球部で、野球漬けの日々でした」(まさと)
一方、おさむはこのころからコメディアンへの憧れを持っていた。
「アメリカのボードビリアンが好きでね。コンビを組むなら、映画『底抜けシリーズ』のジェリー・ルイスとディーン・マーティンの底抜けコンビのようになりたかった。もちろん、三枚目のジェリーが僕ね。相方はディーンのような男前がいいな、と。相棒(まさとのこと)はイメージに近いでしょ」(おさむ)
まさとは偶然目にした雑誌で「20歳で家を建てた」と話す西川きよしの記事を読み、“えぇなぁ”と、いささかよこしまな動機で芸人を目指すことに。卒業後間もなく、タイヘイトリオに弟子入りした。
師匠の荷物持ち、身の回りの世話などの修業生活を送りながら1年が過ぎたころ、週に1度通っていた漫才師養成所で偶然、おさむと再会する。
「同級生だし、まぁいいかと、あまり深く考えずにコンビを組んだんです」(まさと)











