実はこのときの客席には、のちに伝説的なお笑い番組『THE MANZAI』を手がけることになるフジテレビの横澤彪氏をはじめ、TBS、日本テレビなど在京キー局の演芸担当プロデューサーがズラリと顔をそろえていた。

漫才ブーム前夜

 そんなこととはつゆ知らず、ふたりは大阪の劇場でも客からの反応がよかった、自信のあったネタを精いっぱい披露した。

'81年、全国ツアーで7か所を回り最終日には武道館公演を実現したザ・ぼんち
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【写真】まるでアイドルのコンサート! 大ブレイクを果たした漫才ブーム時代

仲が良かったB&Bも、東京で頑張ってる。僕らも負けてられない! という気持ちでしたね」(まさと)

 帰阪してしばらくたったころ、東京でも活躍している先輩芸人たちから、劇場で声をかけられることが増えていった。

「おまえらのこと、フジテレビの横澤さんが褒めてはったで」

「TBSの桂(邦彦)さんがな、おまえらの話しとったぞ」

 ふたりにしてみれば、寝耳に水。「その人ら、誰?」とポカンとするしかなかった。

あとからわかったことだけど、東京のテレビ局の人たちが新宿で僕らの漫才を見て、“コイツらはいつか使えそうだ”と感じてくれたようなんです」(まさと)

 漫才ブーム前夜。笑いの本場・大阪ではなく東京を中心に、少しずつ時代が動き始めていた。

 チャンスは突然やってきた。フジテレビの横澤プロデューサーが企画する、まったく新しい漫才番組の制作が決まり、東京で人気が出始めていたツービート、B&Bらとともにザ・ぼんちもその収録に呼ばれたのだ。

スタジオに入ってびっくりしましたよ。英語で“MANZAI”と描かれた大きな電飾が輝いていて、小林克也さんがDJのように僕ら漫才師を紹介してくれる。とにかくおしゃれでね。見たことがない演出でした」(まさと)

 きらびやかなステージに、粋なアイビールックでキメたふたりはよく映えた。

「僕は昔から洋服が好きだから、相方にお願いして衣装は好きなように決めさせてもらってたんです。ジャケットはおそろいの『VAN』のニューポートブレザー。僕は蝶ネクタイだけど、アイビールックにはやっぱりストライプのネクタイが合うから相方につけてもらって。足元はバッシュでね」(おさむ)

 古めかしい演芸のイメージを一掃し、漫才をポップで新しいものに変えた『THE MANZAI』。横澤プロデューサーは出演者の選定にあたり、知名度よりもコンビの新鮮さや、ネタのスピード感を重視した。