『THE MANZAI』をはじめとする人気番組が視聴率低迷とともに次々と終了するなか、台頭したのは『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)。
「今でも会社を恨んでますよ」
台本があるようでないような即興性、出演者同士のフリートークなど目新しい演出が新世代にウケ、その後10年以上にわたり“土曜8時”枠でトップの視聴率を誇るお化け番組となる。ビートたけし、明石家さんま、島田紳助など多くのスターを生んだ。
「僕らも最初から『ひょうきん族』に参加したかった。そのことについては今でも会社を恨んでますよ」(おさむ)
当時、ザ・ぼんちは裏番組の司会を務めていた。日本テレビのプロデューサーから出演を切望され、吉本側が断り切れなかったという。
結局この番組は数か月で終了し、しばらくしておさむだけが『ひょうきん族』に合流。しかしそれまでにはかなりの時間がかかり、合流後も“サブメンバー”感はぬぐえなかった。
「そんなとき、うめだ花月の舞台に立ったら、前列の母娘のお客さんが“この人ら、すごかったねぇ”って過去形で言ってるのが聞こえてね。漫才ブームの終焉はとっくに感じてたけど、このひと言は決定的でした」(まさと)
B&B、紳助・竜介、西川のりお・上方よしおなど、漫才ブームを共に駆け抜けてきた仲間たちはすでに解散していた。
まさとは、この舞台のあとすぐにおさむを劇場下の喫茶店に誘う。お互いに燃え尽き症候群であることはわかっていた。「しばらく休もうか」との提案を、相方も承諾した。
「このころ、後輩からも言われてました。“兄さん、客に全部見せすぎやねん。また見たいと思わせな飽きられるよ”って。でも目の前にお客さんがおったら、つい全力でやってしまう。僕は出し惜しみできないんです」(おさむ)
'86年3月、13年続いたコンビは解散。このとき、ふたりはまだ33歳。そこからピンの活動が始まった。
解散前から少しずつ役者の仕事を始めていたおさむは、連続ドラマ『はぐれ刑事純情派』(テレビ朝日系)の巡査役としてレギュラー出演が決まる。
一方、まさとは窮地に陥った。仕事は月に数回。全盛期に数百万円だった月収は、10万円足らずまで落ち込んだ。その状態が3年続いたという。
「当時、子ども2人はまだ小さくて。そりゃあキツかったけど、嫁は文句ひとつ言いませんでしたよ」(まさと)











