どん底の中、天の助けとばかりに昼のワイドショーの仕事が舞い込む。15分間のコーナーの司会に、当時20歳そこそこだったお笑いタレントの亀山房代さんとともに起用されたのだ。
客席からはクスリとも笑いが起きなかった
この出会いがきっかけとなり、その後ふたりは漫才コンビを組むことになる。
「本気でやるなら、彼氏と結婚はしてもいいけど3年間は子どもをつくらないでほしい、とカメ(亀山さん)に頼みました。コンビが形になるまでには何年もかかりますから」(まさと)
ザ・ぼんち解散以来、3年半ぶりに漫才師としてうめだ花月の舞台に立った。少しはウケるだろうという予想に反し、客席からはクスリとも笑いが起きなかったという。
「そこからはひたすら、稽古の日々です」(まさと)
稽古場所の確保すら難しく、自宅で朝から夕方まで7時間の稽古を繰り返す毎日。亀山氏はまさとの家族ともすっかり仲良くなった。
「おさむがいなきゃダメだね」と思われたくないという意地と、後輩の亀山さんを一人前の漫才師にしてあげたいという思いのみが、まさとを支えた。
「やっぱり、稽古は嘘をつかないね。2年を過ぎたころからお客さんの反応がよくなり、漫才の仕事も少しずつ増えていったんです」(まさと)
正月など、大事な舞台にも呼ばれるようになった。「何があっても3年は辞めない」と決めていたその期限が、とうに過ぎた6年目の'95年、なんとふたりは上方漫才大賞奨励賞を受賞する。
このときのことを、まさとは著書『おおきに漫才!』(ヨシモトブックス)でこう記している。
《みんなから反対されたコンビやったけど、間違いやなかたんや、そう思うと涙があふれてきた。過去を含めて、一番嬉しい賞だった。これから先にどんな賞を頂くかはわからないが、この喜びを超えることはないと思う》
その後、亀山さんの妊娠により12年続いたコンビは円満解散。最後の舞台が終わったその日に、まさとは事務所からザ・ぼんち復活を提案される。
「再結成とはいえ、16年ぶり。またイチから漫才をやることがどんなに大変か。相方には僕ひとりで話をしに行こうと思いました」(まさと)
おさむの自宅では、奥さんが手料理を作って待ってくれていた。
「やりたい気持ちはあっても、漫才ってそんな簡単なものじゃないのはわかってるから。すぐに、うんとは言えませんでしたね」(おさむ)
結論が出ないまま、おさむの自宅を後にするまさと。そのとき、外まで見送りに来た奥さんが泣きながら声をかけてくれた。
「おさむは照れ屋だからあんな言い方しかできないんです。おさむにはまさとさんが必要です。もう一度ふたりで漫才をやってください……」
お互いの家族の思いも背負い、ふたりは50歳を迎える年に再結成を決意。ザ・ぼんちのセカンドステージが幕を開ける。話題性は十分。仕事には困らなかった。
「会社も、再結成やし、なんとかなると思ってたんでしょうね、でも、そう簡単じゃない。昔の漫才を少し変えてみたり、新しいことを取り入れたり、いろいろ試すけどどうもうまくいかなかった」(まさと)











