「東北復興」のため、自分に何ができるか

登山靴、アイゼン、ヘルメットなど愛用の道具とともに
登山靴、アイゼン、ヘルメットなど愛用の道具とともに
【写真】女性初!エベレスト山頂で旗を掲げる田部井淳子さん

 東日本大震災後、故郷・福島の惨状に、居ても立ってもいられなくなった。

「あのとき、すごく寒かったでしょう。うちにいっぱいあった羽毛服、帽子、手袋などを何箱にも詰めて、お金も送って……」

 その後も「自分に何ができるか」と考え続け、被災者をハイキングに誘うボランティア活動を始めた。

 人づてに「体育館などに避難した人たちが、朝から晩まで何もすることがないのがつらいらしい」と聞いたからだ。

 田部井さんが代表を務めるNPO法人日本ヒマラヤン・アドベンチャー・トラスト(HAT―J)の中に東北応援プロジェクトを立ち上げ、2011年6月から開始。多いときは50人近い被災者が参加して、'14年1月までに33回実施した。

 田部井さんの出身地、三春町には原発事故後、葛尾村、富岡町から避難してきた人が2000人弱いる。元副町長で三春まちづくり公社社長の深谷茂さん(65)が被災者との窓口になり、ハイキングにも同行してくれている。

「田部井さんは同じ高校の先輩です。山の先輩でもあるので私も喜んで手伝わせてもらっていますよ。被災者の方々と山を歩いているときの田部井さんは、とにかく明るいですね。ダジャレを言ったりして(笑)。干し柿や梅干しをベースにした手作りのオヤツを持ってきて、みなさんに配ってくれたりもします。

 参加した方たちは“田部井さんは大病を患ったのに、自分たちのために一生懸命やってくれて、非常に励まされる”と話されていますよ」

 ただ、ハイキングの参加者はシニア世代が多い。

「若い人たちに元気になってもらいたい」

 と考えた田部井さんは、被災した東北の高校生を日本一の富士山に招待するプロジェクトも始めた。

 1回目の'12年7月には60人。'13年は74人が登頂した。

「行きも帰りもつらかった!泣くほどつらかった! でも、自分が強くなれた!」

「グループで助け合うことは気持ちいいとつくづく感じた」

「自分の悩みは富士山に比べれば小さなことだと感じた」

 参加した高校生たちから寄せられた手紙だ。

 実は病気が見つかった2012年の春は、この富士登山プロジェクトが始動して、募金のお願いの企業回りが一段落した時期だ。

 浜離宮ホールで行ったコンサートは資金集めのイベントでもあった。

 自分の病気で中止するわけにはいかない、何としても富士登山を成功させたいという強い思いが、病気を克服する力にもなったのだろう。

「18歳の子どもが10年たてば28歳になって、復興の大きな力になると思うので、今年もやります! 1000人登らせるまでは続けますよ」

 田部井さんのベッドの枕元には、地図帳が置いてある。

「あー、ここは行ってないなー。ここもだ」

 地図帳を眺めながら、あれこれ考えるのが至福の時間だ。今の目標は世界各国の最高峰に登ること。年末年始のニカラグアを含め、66か国の最高峰に登頂した。

「ニカラグアも、行く前に一生懸命グーグルで調べたけど、エー!? こんなところだったの、と。緑の中にポコッポコッと富士山みたいな火山が連なっていて、マグマも見られるの。やっぱり、行ってみないとわからないわね。大みそかでも豪華な料理はないし、寝るのは地べただけど、満天の星を見てぜいたくだなと思うんだから、安上がりだよねー。アハハハハ」

 山の楽しさを話し出したら、もう、止まらない。