夫のサポートで世界7大陸の最高峰に!
夫の田部井政伸さんと出会ったのも山だ。
バイクが好きでホンダに勤めていた政伸さんは、難しい岩壁を何本も登り、岩登りの世界では有名だった。同じ山で何度か出会い、話をするうちに親しくなった。
27歳で結婚、32歳で長女を出産した。
政伸さんは妻のどんなところに惹かれたのか。
「自分にないものを彼女は持っていたんです。周囲の人を大事にするとか。細やかな気遣いをするとか。僕は10代のころ、脊椎カリエスで歩けなくなり、入退院を繰り返していました。結核病棟だから人が死ぬのをすぐ隣で見てきたんですよ。人生は限られた時間しかないんだと感じ、自分も好きなことをやってきたし、彼女にもやってほしかったから、協力もしたんです」
それまで山岳会の男性や夫と山に登ってきた田部井さんが、女性だけでヒマラヤを目指したのには理由がある。
「男性とは体格も、スピードも、瞬発力も違う。肉体的構造が違う者同士がひとつのことをやるのは“フェアでない”と。それに岩場の狭いテラスで、生理的に男のすぐそばでトイレはできない(笑)。何か月もかかるヒマラヤ登山だと、よけいストレスになるでしょう」
40年前といえば、女性は家を守るのが当たり前という時代だ。エベレストに向かうときにも「女だけで登れるわけがない」「子どもを置いていく非情な母親だ」と中傷や批判もされた。
仲間同士でも、独身の隊員から「子持ちの副隊長(田部井さん)はフットワークが悪い」と嫌みを言われて、落ち込んだ。
「遠征中も“なんであなたが選ばれて、私が……”とか、人との軋轢が一番ストレスでしたね。でも、一歩一歩が大変な山を登るわけですから、登山に集中していると、イヤなことを忘れられました」
38歳で長男を出産。子どもたちが成人するまでは、夫婦2人で同じ山には行かず、必ずどちらかが家に残った。
'92年、53歳のとき7大陸最高峰の登頂を果たした。これも女性世界初の快挙だ。
海外の山に遠征すると、かなりの費用がかかる。エベレストのときは新聞社とテレビ局が後援してくれたが、それ以外は自己負担だ。
長女の出産を機に10年勤めた日本物理学会を辞めてからは、生活を切り詰め、自宅でタイプ打ちや校正の仕事をした。それでも足りないと、会社員の夫が金融機関から借りてくれた。田部井さんは帰国後に講演や原稿書きをしてコツコツ返済していった。
「いいご主人ですねぇ」
そう感想をもらすと、田部井さんはにっこり笑って、うなずいた。
「私もそう思います。やっぱり、私は見る目があったなと。アハハハハ」
だが、“有名な母”は、子どもには重荷だった。
「お母さんが山登りなんかするからだ!」
事あるごとに「田部井淳子の子ども」と言われ、興味本位の視線にさらされる子どもたちは成長するにつれ反発し始めた。特に息子の進也さんの反抗は長く続いた。学校でタバコを吸ったり、サボったり。挙げ句に、勝手に高校を中退してしまった。
「親としてずいぶん悩みましたけど、ああいう最中に親が何を言ってもダメだから、進路のことは息子が尊敬していたスキーのコーチにおまかせしました。私はお祝いのパーティーとか、息子が行きたいと言えばどこにでも連れていきましたね。“ほら見て、田部井さんの息子、茶髪にピアスだよ”とか噂されたけど、ポケットに入れて、隠しておくというわけにはいかないでしょう(笑)」
回り道をして大学院を出た進也さんは、福島県にあるロッジを両親から引き継いで切り盛りしている。今では田部井さんの登山に付きそってくれることもあるそうだ。












