初めて弱気になった妻

夫の政伸さんは山仲間。2013〜'14年の年末年始にかけて、中南米・ニカラグアの最高峰を含む6つの山々を踏破した
夫の政伸さんは山仲間。2013〜'14年の年末年始にかけて、中南米・ニカラグアの最高峰を含む6つの山々を踏破した
【写真】女性初!エベレスト山頂で旗を掲げる田部井淳子さん

 山も今までと同じペースでは登れない。ほかのメンバーに先に行ってもらい、夫と2人でゆっくりと登ることも。

 昨年末から今年正月にかけて中米・ニカラグアの最高峰に登った。そこで「初めて弱気になった妻を見た」と政伸さんが打ち明けてくれた。

「ザラザラの火山で20センチ登ってもザーッと10センチ下がるから、ものすごく疲れる。“もうダメ。あなただけ頂上に行ってきたら”と言うから、“あと30分も歩けば着くから”と、だまして引っ張っていったんですよ(笑)」

 連れ添って50年近く、夫にも弱音を吐かなかったというのもすごいが、2人の会話を聞いていると、悲愴感がまるでないのにも驚いた。

「まあ、起きちゃったものは、しょうがない。これが30代、40代だったら、頭が真っ白になったかもしれないけど。もう70歳過ぎで、子どもたちは大きくなったし、自分のやりたいことはずいぶんやらせてもらったし」

雪崩で死にかけたら「愛するわが子」が

 がんになったのは初めてではない。2007年に早期の乳がんが見つかり、乳房温存手術を受けて完治した。'12年のがん性腹膜炎は、いわば2度目の闘いだった。

 田部井さんは家族やスタッフに「騒ぐな」「オタオタするな」と言い、病気のことは伏せたまま仕事をこなした。気遣われると、余計ストレスになると思ったからだ。

 夫の政伸さんは車の後部座席を倒してマットや布団を敷いて簡易ベッドにした。埼玉県の自宅から東京のがん研までの通院や山へ行くときはもちろん、講演や取材の現場まで妻が寝たまま移動できるようにした。

 8か月に及んだ抗がん剤の点滴と手術を経て、がんは消え、治療は終了した。

 2013年9月に、これまでの経緯をつづった本『それでもわたしは山に登る』を出版すると、みんなから驚かれた。人前に出るとシャキッとするため、ほとんど誰も気づかなかったのだ。

「病気を公表したら、みなさんに“大変だね。すごいね”と言われましたけど、私自身は“がんになったのも生きている証拠”だと。フフフフフ。そう思えたのも、山のおかげですね」

 何度も死の淵から生還してきた田部井さんだから、口にできる言葉なのだろう。

 1975年、35歳のとき女性で世界初のエベレスト登頂者になり、一躍有名になったが、このときも、危うく死にかけた。

 第2キャンプで就寝中、真夜中にテントごと雪崩に吹き飛ばされたのだ。

「あのときは“ああ、私はこうやって死ぬのか”と思いましたね。娘がまだ3つでしたから、ママゴトしている姿が浮かんできて、ここで死んだら娘はどうなるんだ、最後の最後の千分の1秒まで頑張らなきゃと思ったんですけど。

 雪に埋まったまま、だんだん意識が薄れてきて、気がついたときには、雪の上に出されていました。離れたテントに寝ていたシェルパ(高所登山を手伝う現地部族)が雪の中から掘り出して、助けてくれたんです」