香淳皇后と秋篠宮さまのご対面
秋篠宮さまが生まれて2日後の12月2日、香淳皇后は、宮内庁病院に上皇后さまを見舞い、初めて秋篠宮さまと対面している。祖母はどんなにうれしかったことであろう。その新生児も、今年11月30日で60歳の還暦を迎える。
「6月に香淳皇后の崩御がありまして、その後に宮殿においていろいろな行事があったわけですが、その中で例えば殯宮の祇候とかですね、それから、これは斂葬の儀の当日になりますけれども轜車発引の儀のときに、玄関のところでお見送りをした。
このようなことは、本人たちにとっても貴重な経験ではあると思うんですが(略)私たちが子どもたちを連れて時々、大宮御所のほうにご挨拶に行って、そういうことから非常に、その何と言うのでしょうか、自然な形で親しみがあったんだと思うんですね。
ですから亡くなる前日ですが、そのときもお見舞いに行ったわけですけれども、こちらが行こうと言って連れて行ったというよりも、子どもたちのほうからぜひともお見舞いしたいというようなことを言ってくれまして」
以前、この連載で触れているが、2000年6月16日、香淳皇后は老衰のため、97歳で逝去した。
このとき、佳子さまは5歳で、学習院幼稚園に通っていた。同じ年の11月、35歳の誕生日を迎える前の記者会見で、香淳皇后の大喪儀などを通じての子どもたちの成長ぶりなどについて尋ねられた秋篠宮さまは、前述のように佳子さまたちのエピソードを交えながら答えている。
遺体が納められた棺は、皇居・宮殿内の「殯宮」と呼ばれる場所に移され、通夜にあたる「殯宮祇候」が行われたが、佳子さまはこれに参列した。
7月25日、本葬である「斂葬の儀」が行われた。この日朝、皇居・宮殿では香淳皇后の棺を轜車という霊柩車に移し、葬儀場への出発を見送る「轜車発引の儀」が営まれ、この儀式にも参列するなど晩年の香淳皇后と佳子さまとの思い出は小さなものではない。
戦前、戦中、敗戦、そして、戦後の繁栄と、香淳皇后は、昭和天皇を支えながら激動の時代を生き抜いた。平和な時代を生きる佳子さまや愛子さま、それに悠仁さまら若い皇族が『香淳皇后実録』を読んで、曽祖母の生涯から学ぶべきものは少なくないはずである。
<文/江森敬治>











