お互いが望んでいた“運命の出会い”
1作目が売れて、次作の執筆を急かされた松井さんは同じころ、まさにときめく相手と遭遇する。
その人こそ、1年後に結婚する子安宣邦さんだったのである。
発端は次作のテーマを「老い」に決めたことだった。あるとき、松井さんは知り合いのAさんから、子安さんの市民講座に通っていると聞かされる。シュタイナー教育研究の第一人者だった子安美知子さんと死別した夫は、どんな老いのときを迎えているのだろう。取材のつもりで市民講座に参加した。
市民講座の二次会で初めて会話を交わした2人はほどなく恋に落ちた。しかもほぼ同時に。
「こんなにありのままでいられる人っているんだというのが最初の印象でした。まさに“レット・イット・ビー”が許される感じ。私は男性社会を生き抜いてきたからか、ずっと怖い女のイメージを持たれてきた。だからできるだけ“敬遠されないように”という態度が身についていました。
離婚後もそれなりに恋愛はしたけれど、根が家父長的な相手に違和感を持たれているなと感じて、終わることが多かった。でも彼と会ったときは、取り繕ったり、隠すことは必要ないと思えたんです。生まれて初めて持てた感情でした」
子安さんは、松井さんを講座に誘ったAさんから、今度講座に参加するのは『疼くひと』を書いた女性だと聞かされて、早速読み始める。読後の印象を、自伝『生き直し』にこう記している。
《呻くようにして読みおえた。私は、疼いた。自分自身の始末のつけ方に思いわずらい、近い将来についてさえ考えの覚束ない私の脳と心と体とを、「疼くひと」は完膚なきまで木っ端微塵に破砕した。心地よいと形容してもよいほどまでに私は魂を揺すぶられた。老後という、もうひとつの生があり、もうひとつの性がある。その真実を突きつけられた。私の中に何かが目覚めた。何かが再生した。ルネサンスだ》
そして実際に会って話してみると……、
《私は、こういう女性を待っていたのだ。ずっと待ちこがれていた人にようやく出会えた。話せる人。対等に話しあえる人。人間を、人生を、共に話しあえる人。見失ってしまっていた話し相手をやっと見つけた。しかも初対面でふつうに話すことができた。実に実に稀な女性だ》(『生き直し』より)
ほどなく2人はそれぞれの自宅を行き来するようになり、会えない時間をメールのやりとりで埋めていく。
当時、松井さんからメールを見せられたという、前出の稲木さんによると、「こういうメール来ちゃった!」と、まるで女子高生みたいな様子だったという。
前出の俳優、山野さんもそのころに松井さんに会ったときのことをこう振り返る。
「めっちゃ可愛かったんですよ。年下の私が終わっちゃったおばさんみたいな感じで(笑)。もともと声も可愛らしい方なんですけど、本当にウキウキなさっていました」
恋の順調さとは裏腹に、2作目の原稿は難航した。担当編集者の打田さんによれば、自分の恋愛をベースにし、しかも同時進行で書いた小説ということもあり、作品として昇華させるのに時間を要したという。
編集者が客観的な視点を入れて、改稿案を示した。打田さんが回想する。
「かなりしつこく修正をお願いしたのでウンザリされたでしょうが、松井さんは厭うそぶりはまったく見せず、いつも前向きにこちらの意見に耳を傾けてくださいました。 あれほどの実績のある方なのに、その姿勢には感銘を受けました。
途中、冗談めかして“あなたが気に入らないのなら、本にしなくてもいいのよ。私、幸せだから”とおっしゃったのですが、私はそれだけはご勘弁をと頭を下げたんです(笑)」












