いくつになっても自分らしく自由に生きる

 '22年に結婚。決心した背景には、離婚によって幼いころに思い描いていた「良き妻」を果たせなかった不全感があった。

「でも今度こそ“良き妻になれ”と神様に言われている気がしたんです。子安は無理なくそう思わせてくれました」

 朝食にはルーティンがあるという。トーストした食パンにバターをぬって、ハムをのせ妻に差し出すのは子安さんだ。ほうじ茶、ヨーグルト、焼いたさつま芋も。ただそれ以外は「料亭まつい」の異名をとる彼女が腕を振るって、おいしい料理を作るのだとか。そのおかげだろう、「子安さんの肌がつやつやになった」と評判なのだ。

 時々、子安家を訪れる息子の勇氣さんは、好きな人を見る母親のまなざしを目にして、再婚してよかったと喜ぶ。

「母が旦那さんを気遣う優しい目の配り方やしぐさ、男性に対して経済的に頼るというのではないけれど、頭を肩に乗っけるみたいなしぐさがいいですね。母らしくないし、僕からすれば小っ恥ずかしいところは多分にあるんだけど、今まで見たことがないのでいいなって。幸せであってほしいなと思います」

 子安さんのもとの家には1万冊の蔵書があったという。しかし同居にあたりほとんどを処分した。松井さんと出会って、書物は自分を守る鎧であったことに気づき、そんなものは必要ないと捨てる決心をしたのだ。必要な少しの本を持ち込んだ真新しいマンションのソファに座りながら、子安さんはゆっくりと話した。

「この年になると、大学の同僚だった者が死んだとか、どこの介護施設に入ったという情報ばかり。私も四国の霊場巡りの旅に出ようかなどと考えていた。それが彼女と出会って生き直すことができました。90代になっても、こういう出会いがあり得るんだ。いくつになっても人生の波を新たにするような出会いがあり得るのだ、ということを実感しています」

 傍らで聞いていた松井さんが言葉を継ぐ。

「特に女性は、いつの間にか思い込まされてきた社会通念や、女はこういうふうに生きなきゃいけないというようなものを、年齢を重ねても疑わない人がたくさんいます。人生は一回きりなのに、それではもったいないでしょう。いくつになっても自分が自分らしく、自由に生きていいんですよね。それには“心を開いておく”こと。出会いがあったときに、その幸運に反応して、行動できるように」

 ただ、心を開けるのは、仕事など社会的な活動が一段落して以降だと話す。

「つまり社会から要らないといわれる時期なんだけど、そのときこそ、自分を取り戻すチャンスなんです」

 松井さんが送る老いの時間が、これからの高齢社会の新しいスタイルになっていくかもしれない。

<取材・文/西所正道>

にしどころ・まさみち 奈良県生まれ。人物取材が好きで、著書には東京五輪出場選手を描いた『東京五輪の残像』(中公文庫)や、中島潔氏の地獄絵への道のりを追った『絵描き─中島潔 地獄絵一〇〇〇日』(エイチアンドアイ)など、多数。