人を惹きつけ、巻き込んでいく“愛されキャラ”

時には身振り手振りを交え、自らの半生を語る松井さん。その語り口は人を惹きつける(撮影/廣瀬靖士)
時には身振り手振りを交え、自らの半生を語る松井さん。その語り口は人を惹きつける(撮影/廣瀬靖士)
【写真】高倉健さんをはじめ、多くの俳優と交流があった頃の松井さん

 松井さんは人を惹きつけて放さない“愛されキャラ”の部分がある。北海道での『ユキエ』上映会以来、松井さんと親交のある大居智子さん(71)は、アメリカで『レオニー』製作準備中の監督を訪ね、ヤンキー・スタジアムでメジャーリーグの試合を観戦した。そのとき、松井秀喜選手がホームランを打った。

「地元ファンが私たちのことを日本人だとわかって、一緒に盛り上がっていたら松井さんが名刺を見せて、“ヒデキ・イズ・マイ・サン”(ヒデキは私の息子)と言って盛り上げていました」(大居さん)

 よくもぬけぬけと、と思うが、あっけらかんとしたユーモアセンスの持ち主なのだ。

 人を巻き込む力があるのも松井さんの特長だ。イサム・ノグチは、札幌市のモエレ沼公園の設計を手がけたこともあり、北海道の財界は映画にかなり出資したのだが、そこで動いたのが配給会社を営む深津修一さん(71)だった。

「直感で、この人に関わると抜けられないと思って遠巻きに見ていたんです。でもその後会わなければいけなくなったんだけど、案の定お金集めを頼まれて、奔走する羽目になりました。これは厳しいなとは思いつつも、松井さんを前にすると、ブツブツ言いながらも動いてしまう。時間を取られ会社の売り上げは落ちましたが、不思議と嫌な思いはしないんです」

 それは、自分の欲望を満たしたいとか、儲けたいといった私心がないからでは、と指摘するのは、ネットで『レオニー』のブログを担当したライターの稲木紫織さん。

「女性たちに向け、こういう映画を作れば楽になる、必要だという信念が根っこにあります」

 だから松井監督を応援する団体「マイレオニー」には一般の人から何千万円というお金が集まった。稲木さんによれば、映画界では味方だった人が突然去ったり、新たな人が支援を始めたりと、人の出入りが激しかったという。

「もう映画はできないのではないかという局面が何度もありました。でもそれを見事に監督はクリアされました」

 その数々の壁をなぜ乗り越えられたのか。松井さんは、

「マイレオニーのみなさんや支援者の浄財を無駄にするわけにはいかなかったから」

 撮影現場ではそんな裏側を悟られるようなそぶりはいっさい見せることなく、監督に徹していた。

 映画にはイサムの母親が日本に滞在したとき世話になった使用人が登場する。その役を演じた山野海さん(60)はこう言う。

「“自由に演じなさい。あとは私が全責任を取るから”とドンと構えて、“一緒に遊ぼう、戦おう”と言ってくださる監督でした」

 印象深いのは演技の提案。「泣いて」という直接的な言い方ではなく、「心の中で揺れてくれればいい」という表現で伝えてくれた。これも自由な演技につながった。

 山野さんは、それまでバイトを週5日しながら小劇場に出演していたが、『レオニー』に出演以降、芝居で生計を立てられるようになった。

 山野さんのように松井さんとの出会いによって人生が変わった人はほかにもいる。先に紹介した北海道の大居さんは、専業主婦だったが、松井さんの自主映画を手伝ったことがきっかけで配給会社に就職して経理を手伝うことになった。ほかにも自宅を開放してお年寄りのサロンをつくったり、地域活動を始める人が出てきたり……そうした事例が多いという。

「“松井さんが映画を撮っているんだから、私にも何かできるかも”と刺激を受けて、自分も行動してくれるのがうれしいんです」(松井さん)

映画製作の現場でも松井さんを支えた息子・勇氣さんと
映画製作の現場でも松井さんを支えた息子・勇氣さんと

『レオニー』は前述したとおり母と息子の物語だが、撮影現場では、「母・松井久子」と「息子・勇氣」の物語も進行していた。

 勇氣さんは、アメリカロケが多かった『ユキエ』撮影の際に主に通訳として関わり、『レオニー』ではプロデューサーとして関わっていた。

「もちろん僕の意志を尊重して留学させてもらっていますから、手伝わない選択肢はないんです。かといって映画の仕事をしているわけではないので、プロデューサー本来の仕事は十分できない。でも近くにいることで、幼いころのように、母の肩に手をやって“大丈夫?”みたいなことはできたのかとは思います」

 ただ、母の仕事を支える優しい息子という捉え方では十分ではない、もう少し複雑な感情があったという。

「親と仕事することの感情的な難しさは曰く言いがたいものがありましたね。母の態度が公私一緒くたになる際は息子でありプロデューサーだから仕方ないけど、理不尽だと感じるときはありました」

 それでも、カリスマ性があるわけではない母親が、ちょっと足を踏み外せば映画自体が崩壊してしまうような緊迫した局面を、「泥んこで、ぐちゃぐちゃになりながら歯を食いしばって前に進む姿を見られたのは貴重な体験だった」という。