映画監督デビューで観客動員数60万人を記録
しかし相談に行った大物プロデューサーの中には、
「君がやろうとしていることは、スニーカーとジーパンでエベレストに登ろうとするようなものだよ」
と冷水を浴びせるような男性もいた。
「でも私は元来、ずうずうしいんですよ(笑)。リミッターを設けないから」
初めての監督業にはそれなりのトラブルもあったが、ライター、芸能事務所、ドラマのプロデューサーで身につけた経験で乗り切った。
'98年に公開された『ユキエ』は、封切り後の展開の仕方が異彩を放っていた。上映された映画館はたった6館だったが、自主上映会で好評を得て、観客動員数を60万人に伸ばした。上映会に招かれた松井さんは、自らの体験を壇上で話した。
「時には主催者の女性たちと一緒に温泉に入って背中を流し合って、いろんな話をしながら友達になるんです。そんな出会いが楽しくて仕方なかった。映画だけ撮っている監督の何が面白いのかと思っちゃう(笑)。『ユキエ』は、戦争花嫁の、夫婦愛のドラマでした。その上映会で認知症の姑を介護する女性からいただいた1冊の本。それを読んで介護に苦しんでいる女性たちの話を聞いて歩くうちに、この人たちの映画を撮りたいと思うようになったのです」
それが2作目の『折り梅』だ。この作品は、同居した夫の母親が認知症になり、家族は崩壊の危機に直面しながらも再生する物語である。
北海道で自主映画の営業をしていた岡村雄二さん(78)は、観客から「ありがとうございました」とお礼を言われることに作品の持つ力を感じていた。その気持ちは「ほかの人にもすすめたい」という思いになり、それが口コミになり、上映会の輪が広がった。
「認知症は避けて通れない病気。それを正面から扱った、おそらく初めての映画だった。だから誰もが見たかったのだと思います」(岡村さん)
こうした現象は全国で起き、2年のうちに100万人の観客を動員するまでになる。
自主上映会で松井さんはどんな話をするのか。その一端を垣間見たのが、今年9月、神奈川県鎌倉市で行われた、松井監督3作目にあたる『レオニー』の上映会である。世界的芸術家、イサム・ノグチの母親レオニーが、息子をいかにして芸術家たらしめたかという映画だ。「医師になりたい」と言う息子を半ば強引に、「おまえは芸術家に向いている」とすすめ続ける強い母親像が描かれている。
定員286人のホールは満員。大半は女性だ。上映を前に、松井さんが話を始めた。『ユキエ』『折り梅』のこと、そして『レオニー』の製作裏話も披露した。
企画から6年半、資金集めが暗礁に乗り上げていたとき、支援者から若いIT長者を紹介され、「社会に広がりのあるお金の使い方をしたい」と援助を快諾してくれ、最終的に12億円の出資を受けた話。
またスケジュール終盤の音楽制作では、よりにもよって'04年、『ネバーランド』でアカデミー作曲賞を受賞したヤン・A・P・カチュマレクに松井さんは熱烈な“ラブレター”をしたためる。カチュマレクがバカンス中で連絡がつかずやきもき。支払えるギャランティーも少なく、一体どうなる……というスリリングな展開の話に、観客はぐいぐい引き込まれていく。ほとんどの人が身を乗り出して、固唾をのんで耳を傾けている。
そしてついにギリギリのタイミングでカチュマレクから連絡が入り、「引き受けます」という回答を得る。すると会場から「お~」という安堵の声や、小さな拍手が起きる。松井さんがそれまで同世代に目線を合わせて記事やテレビドラマの企画を考えてきたように、観客にピタリと目線を合わせる。だから会場が一体になるのだ。松井さんは上映会後、こう言った。
「上映会で話すのは久しぶりだったけど、私、まだまだ神通力あるなって思った。以前、私のことを“おばさま方のアイドルね”と言った人がいたけれど、まだ衰えていないなって(笑)」












