東日本大震災で心境に変化が
義父を説得し治療をやめた後、44歳の時にテレビ番組で不妊治療の経験を話すと、思わぬ反響があった。
「当時は治療を公言する著名人はほとんどいなかったので、『私も治療していますが、誰にも言えなくてつらい』など共感の手紙をたくさんいただいて。それを機に妊活雑誌で相談連載が始まり、同じ境遇の方の役に立てるかもと、不妊治療を再開することにしたんです」
今度は採卵3回までと決め、精子の量が少ない場合に有効な「顕微授精」に挑戦した。体外で受精卵をつくって子宮に戻す流れは体外受精と同じだが、受精方法が違うのが特徴。良好な精子を1つ選び、直接卵子に注入して受精させるのだ。
「そうしたら、30代ではできなかった受精卵が初めてできたんです。写真を見た時、『小さな命が生きてる!』と感激して。でも、移植しても子宮への着床に失敗することが2回続いて……ショックでしたね」
治療は2年ほど続け、3回目も2つの受精卵ができた。しかし直後に東日本大震災が発生し、泣く泣く移植を延期。仕事で震災対応に追われて時がたつうち、心境に変化があった。
「震災で多くの命が失われる状況を見て、深く考え込んだんです。お腹に戻してまた着床しなかったら、今、目の前にある2つの命が消えてしまう。それならいっそ、そのまま残しておきたいなと思ったんです。それで、子宮内には戻さずに受精卵を凍結保存し続けることに決めました」
「らんちゃん」と「らんらんちゃん」と名づけた受精卵を凍結して今年で約15年。その存在が光代さんの心の支えであり、生きがいとなっている。いずれは、自分の棺に入れたいと話す。
「夫には受精卵を保存していることは伝えているけど、何も言ってきません。否定されないのはありがたいですね」
現在、不妊体験者の支援を行うNPO法人「Fine」の名誉会員も務めている光代さん。治療中の方には、根を詰めすぎないようにしてほしいと言う。
「うまくいかなかった時は、夫婦で外食や温泉に行ってリラックス。それが治療を続けるうえで大切だと思います」











