佳子さまのご活躍

高松市の国立ハンセン病療養所「大島青松園」の納骨堂で供花する紀子さまと佳子さま(2025年10月3日)
高松市の国立ハンセン病療養所「大島青松園」の納骨堂で供花する紀子さまと佳子さま(2025年10月3日)
【写真】学生時代の佳子さま、割れた腹筋が見える衣装でダンスを踊ることも

 4年に1度開かれる聴覚障害者の国際スポーツ大会「東京2025デフリンピック」は昨年11月15日、東京都渋谷区の東京体育館で開会式が行われた。日本では初めての開催となったこの大会の開会式に、全日本ろうあ連盟非常勤嘱託職員の佳子さま、それに、秋篠宮ご夫妻と長男の悠仁さまのご一家4人全員が出席した。秋篠宮さまが冒頭の挨拶をし、最後に「ありがとう」を意味する国際手話で感謝を伝えた。

 また、佳子さまは「東京2025デフリンピック」の閉会式にも出席した。新型コロナウイルスに感染し、療養していた佳子さまは、この日、鮮やかなブルーのワンピースにマスク姿で選手たちを激励した。

 戦後80年の大きな節目である昨年8月、佳子さまは、母親の紀子さまと共に広島県を私的に訪問し、「原爆の子の像」のモデルとなった佐々木禎子さんの生涯を描いたミュージカルを鑑賞している。アメリカ・ハワイ州の子どもたちによるミュージカルで、1945年8月6日の広島への原爆投下により2歳で被爆し、10年後に白血病で亡くなった禎子さんが、平和への祈りなどを込めて病床で鶴を折り続けた姿や友人たちとの絆を描いたものだ。

 翌日は雨が降る中、二人は広島市の平和記念公園にある原爆死没者慰霊碑に供花し、拝礼した。その後、平和記念公園にある「原爆の子の像」を見学し、同じ市内にある広島原爆養護ホーム「舟入むつみ園」を訪問、佳子さまと紀子さまは入所者たちと懇談を行った。

 親子は、昨年10月には香川県を訪れた。高松市の大島にある国立ハンセン病療養所「大島青松園」の納骨堂で白い花束を供え、慰霊碑に深々と拝礼した。続いて、入所者と懇談した二人は、しゃがみ込むようにして一人ひとりに歩み寄り、「お身体を大事になさってください」などと、優しく声をかけていた。佳子さまが香川県を訪れるのは初めてだった。

 高松港から約8キロの瀬戸内海に浮かぶ大島は、全国に13ある国立ハンセン病療養所の一つで、島全体が療養所となっている。報道によると、昨年10月1日時点の入所者は29人で、平均年齢は87・8歳と高齢化が進んでいる。上皇ご夫妻は全国のハンセン病療養所に足を運んだが唯一、同園には訪問できなかったという。佳子さまは、祖父母である上皇ご夫妻の思いを受け継いだ形で「大島青松園」を訪れている。

 以上のように、昨年1年間の佳子さまの主な活躍を振り返ってみたが、どの仕事もとても大事にしながら、佳子さまが一生懸命取り組んでいることがよく理解できる。
 

《次女の佳子は、この一年も国内外でさまざまな公的な仕事をしてきました。そのひとつひとつに心をこめて携わり、頑張っている姿を頼もしく思っております。そして経験を重ねる中で、彼女らしいものの見方を育み、新たな視点を持ちながら自分の考えをしっかりと持って取り組んでいる様子、いろいろなことを考え、どのような仕事にも丁寧に臨んでいる姿を見て、刺激を受けたり学んだりしています》

 2024年9月、誕生日にあたり宮内記者会から、佳子さまの公的な活動などについて感想を求められた紀子さまは、このような文書を綴り、やはり娘を高く評価している。

 年も明けたばかりではあるが、昨年のような、佳子さまと紀子さま、二人での地方訪問は増えるのであろうか。そして国際親善の場での佳子さまの活躍を、今年も期待していいのだろうか。

 昨年11月の誕生日を前にした記者会見で、「殿下はこういう時代にあって皇室の活動はどのようなことを心がけていくべきだとお考えでしょうか」などと、記者から質問された秋篠宮さまは、次のように答えた。

「やはり皇室の活動として大事なのは、対話だと思うんですね。(略)国際関係について言うと、皇室というのは外交はできないわけですね。外交をすることはできませんけれども、親善はできるんですね。そうすると、やはり、その中で少しでも相互理解が深まるようになることが大事ではないかと思います」

 国際親善の舞台だけではない。国内でも佳子さまは、行く先々で国民と語り合い、ふれ合いながら相互理解を深めている。今年もまた、多くの人たちと絆を深める、佳子さまの友好親善の旅は続いていく。

<文/江森敬治>

えもり・けいじ 1956年生まれ。1980年、毎日新聞社に入社。社会部宮内庁担当記者、編集委員などを経て退社後、現在はジャーナリスト。著書に2025年4月刊行の『悠仁さま』(講談社)や『秋篠宮』(小学館)など