滑りのカッコよさにも憧れてスノーボードに惹かれ、反対する父親を説得してスノーボードショップを訪れた。そのとき、店主に見せてもらったアルペンスノーボードの映像に魅せられて小学校5年生からスノーボードを始めた。
「アルペンスノーボードはスピードを競う競技で、勝ち負けがはっきりしているんです。スキーでスピードを出すのが好きだった私にとっては、すごく魅力的に感じました」
竹内さんは、父親の影響でオリンピックを意識するようになったそうだ。
「父はオリンピックが好きな人で、よく『子どもがオリンピック選手になってくれたらいいなぁ』と言っていました。14歳のときにテレビで長野オリンピックを見て、私が普段から滑っているアルペンスノーボードが種目になっていることを知り、“この競技でオリンピックに行きたい”という気持ちが芽生えました」
その後、18歳で2002年開催のソルトレークシティーオリンピックのアルペンスノーボード競技パラレル大回転に出場した。
人間は、追い込まれると頑張るしかない
「ゴールのほうから聞こえる地鳴りのような歓声くらいしか記憶になく、頭が真っ白な状態でオリンピックが終わったような感覚でした。22位という結果でしたが4歳上の先輩が決勝に進む姿を見て、“4年後のトリノでは絶対に決勝へ行こう”と思いました」
その決意を胸に、2006年のトリノオリンピックでは9位という結果となった。
「死ぬほどトレーニングを重ねたという自信はありました。それでも9位にしかなれず、国内での練習に限界を感じました」
竹内さんは2007年夏からスイスに拠点を移し、スイスのナショナルチームの練習に参加した。毎日膨大な数の単語を覚えて、3か月でドイツ語を習得し、生活費を抑えるために住み込みで家政婦のアルバイトをしながらの練習だった。
「もう一回同じ生活ができるかと言われたら、絶対にできないぐらい大変でした(笑)。人間というのは、追い込まれると頑張るしかないということを身をもって知りました」
すべてのことに誠実に向き合う姿勢は、幼少期からの経験で培われたのかもしれない。











