「私の家族は、今は旭川の旭岳温泉にある『湧駒荘』という旅館を営んでいますが、以前はいくつかの飲食店を経営していました。餃子店を営んでいたときにはお昼ごはんのお弁当を作っていろいろな会社さんに届けるという業務があり、小さいころは一緒に車に乗ってお弁当を運んでいた記憶があります。また、神社のお祭りでは兄2人と幼稚園児の私がラムネ売りのお手伝いをしていました」
竹内さんは当時の経験を次のように振り返る。
「子どもながらに時給を稼ぐことの大変さや、ジュース1本を売った利益などを知ることができました。幼いころの社会経験を通して真摯に働くことの尊さを知ったことが、今でもまじめに努力を積み重ねていることに通じているような気がします」
銀メダルの喜びを4年越しで実感
2010年のバンクーバーオリンピックを経て2014年のソチオリンピックで銀メダルを獲得し、2018年の平昌オリンピック、2022年の北京オリンピックと連続出場を果たしている竹内さんだが、どのオリンピックがいちばん印象に残っているのだろうか。
「ソチオリンピックでは金メダルを目指していましたし、メダルをとれる力もありました。だから、悔しい思いでゴールを切ったのを覚えています。でも、応援に来てくれた日本の方々がとても喜んでくれて、メダルをとれたことにホッとした気持ちもありました」
いちばん苦しかったのはソチオリンピックの次の平昌オリンピックだと竹内さんは語る。
「金メダルを目指すと言ったものの前十字靭帯のケガや腰痛を発症し、メダル獲得は無理だと自覚しました。そんな中でスタートに立つことは本当に逃げ出したいぐらい嫌でしたし、できない自分を見てくださいというような気持ちでソチオリンピックとは真逆で本当に苦しい大会でした。
でも平昌大会の客席から表彰台を見たとき、選手たちがすごくカッコいいと思ったんですね。4年前は自分もあの場にいたのだと初めて認識して、平昌オリンピックまでの4年間が苦しかったからこそ、ソチオリンピックでメダルを獲得したことの喜びを4年越しでより感じることができました」











