「スポーツの宮さま」のきっかけ
─世の中で殿下をお呼びするのに「スポーツの宮さま」と申し上げるようになったのはいつ頃からでございますか。
「大正12年(筆者注、1923年)かに大阪で極東オリンピック大会があった。その時、僕は総裁になったのですが、その頃からじゃないですかね。あの頃は、そういう表現をするのが流行していましたね。日本アルプスを数日歩いて来ればすぐに『山の宮さま』と書かれると言った調子で(略)」
─このオリンピック大会の頃から、殿下ご自身色々とスポーツをおやり遊ばした訳ですか?
「まあそうです。僕の成年は大正11年なので、それから以後はある程度…と言っても、色々の制約はあったのですが、勝手なことをした訳で、スポーツの方面でも山登りやスキー、スケートなどをしました(略)僕は元来、冒険的なことが好きで、もっとも、子供は誰でもこうした一面は持っていると思いますが、よく木に登ったり、屋根に上ったりしたものでした。
そして、下を見下ろして、何とも言えない快感に子供心に満足を味わったことを思い出します。こんなことから段々高い所に登ることに、憧れを持つようになって来たのかもしれませんね。それに、大正の半ば頃から、各種のスポーツが盛んになる気運に向いていたので、自然この一般の傾向に僕自身無意識的に誘われることになったのも事実です」
2014年12月、20歳の誕生日を迎え成年皇族となる前に、佳子さまの初めての記者会見が行われた。記者から、「(略)これまで身体を動かされたもの、やってこられたことと、今続けていらっしゃることとはそれぞれどういうものなのかというのを教えていただけますでしょうか」と尋ねられた佳子さまは、
「これまでは、高校の終わりまでフィギュアスケートを続けておりました。今では、これといって特にはございませんが、家の中で身体を動かしたり、弟と家の中や外で遊んだりしております」
と答えている。佳子さまは小学2年生のときから、高校を卒業する前までフィギュアスケートを続けていた。かつては佳子さまといえば、フィギュアスケートの華麗な演技を思い浮かべる国民が多かったと思う。
《舞に込められた祈りをお感じになりながら鑑賞されたと伺いました。「かぎやで風」の演目は、お小さいころにお稽古されたことがある舞であり、前奏が始まった時に振りを思い出され、お帰りになってから踊ってみられたそうです》
宮内庁が公表した佳子さまの昨年一年間の活動で、9月には先の大戦の激戦地・沖縄に伝わる琉球舞踊を家族と一緒に鑑賞し、帰宅後、稽古したことのある琉球舞踊を佳子さまが踊ったと紹介している。
佳子さまは冬季五輪を熱心に観戦しながら、フィギュアスケートを懐かしく思い出すだけではなく、「また、氷上で演技がしたい」と思ったりしたのだろうか。聞いてみたい気がする。
<文/江森敬治>

















