ふるさとは母親のような存在

 震災から3週間後、東北自動車道の再開と同時に、村上さんは支援物資をワンボックスカーに積んで陸前高田を目指した。都内でもあらゆるものが不足し、現地までガソリンがもつかどうかも危うい状況だったが、事情を知る友人らの助けでなんとか物資が集まった。両親が身を寄せる一関市の親類宅で1泊し、翌日、山を越えて陸前高田に入った。

「瓦礫と化した町を目の当たりにし、愕然としました。それでも、僕にとってそこは被災地というよりもふるさとなんです。じっとしていられなくて向かったけど、避難所ではみなさんに声をかけていただいて、逆に励まされました」

小さいころの将来の夢はプロ野球選手だったという村上弘明さん
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【写真】ブルドーザーが真っ逆さまに…凄惨な被害をもたらした大震災

 高台にある広田町の実家は半壊で済んだものの、高田町に住む叔父夫婦と、いとこを津波で亡くした。叔父は常日頃から「高田町はゼロメートル地帯だから、地震がきたら逃げ場がないよ」と話していたという。

「地震当日は、自宅前で家族を待つ間に津波にのまれたようだと近所の人が教えてくれました。遺品が見つかり、葬儀が行われたのは震災から数か月後。弟の遺影の前で、名前を呼びながら泣き崩れる母の姿は忘れられません」

 この15年、「いわて☆はまらいん特使」や「みなと気仙沼大使」として、復興イベントや防災関連事業に関わり続けてきた。

 クリスマスに生放送されるラジオの24時間チャリティー番組には震災前から出演を続けている。

「チャリティーの参加局であるIBCラジオ(岩手)のメインゲストとして参加して以来19年間、クリスマスを岩手で過ごしています。

 毎年、ラジオ中継で県内各地を回り、町が変わっていく様子を見てきました。立派な建物が次々とできても、人が戻ってこない現状もあります。でも、誰にとってもふるさとって自分の根っこ。この町そのものが、僕にとっては母親のような存在なんです。両親が年を重ねてふるさとからいなくなっても、町を思う気持ちはずっと変わりません」

 もともと防災への意識が高かった村上さん。東日本大震災以前から、長期保存水や非常食などの備蓄を続けている。また、妻は民生委員として活動。防災訓練や、地域に住む高齢者の見守りなどを通じ、町ぐるみで災害に備える。

 南海トラフ地震や首都直下地震がいつ起きてもおかしくない中、「まずは、自分の住む地域の地形や災害の歴史を知ること。そして近隣住民との日頃からの連携。学校教育にもぜひ取り入れてほしい」と強く語る。

「地震や津波を“想定外”と表現することに違和感があります。なぜなら、自然とはもともと人間の想像の範疇に収まるものではないからです。過去の歴史から学び、各自ができることをやる。それが命を守ることにつながると信じています」

むらかみ・ひろあき(69) 俳優。'79年『仮面ライダー(スカイライダー)』(TBS系)の主演でデビュー。NHK大河ドラマ『炎立つ』『秀吉』『元禄繚乱』や『腕におぼえあり』など出演作多数。

取材・文/植木淳子