幸せは人にどう見られるかじゃない
4、5月も冷え込みが続く気仙沼では、電気がなくても使える湯たんぽが喜ばれた。夏に向けて「殺虫剤を多めにそろえてほしい」という声にも応えた。生活物資がある程度行きわたったあとは、被災した母校にエアトランポリンを寄贈。子どもたちの喜ぶ姿に、大人も自然と笑顔になった。
「みなさんの厚意で集まったお金ですから、1円も無駄にしたくない。どうやって“生きたお金”として使うか。そればかり考えていましたね」
震災後しばらくたつと、気仙沼でも仮設店舗で営業を再開する店が増えてきた。それまで支援物資は主に東京で購入して気仙沼に運んでいたが、それだと被災地にお金を落とせない。店が再開してからは、気仙沼での買い物を優先した。
「例えば座椅子を必要としているお年寄りがいたら、ネット注文などではなく気仙沼の日用品店で買う。これだと、募金を気仙沼で使えますから」
1年、2年たち復興が進むと、支援の形も変わってくるように。
「頼めばやってくれる、必要なものはもらえる、という癖がついて、自立できないのはよくないという話が地元から出たんです。そこで“おもてなしされようツアー”を考えました」
気仙沼には古くから「おもてなし」の精神が根づいている。一方的に支援するばかりでなく、逆に気仙沼の人におもてなししてもらおう。そんなユニークな試みだ。
「気仙沼にはおいしいものがいっぱいあります。旅人を迎える現地のみなさんは張り切って料理をして、精いっぱい振る舞ってくれました。気仙沼で食べて、泊まって、その旅行代金を気仙沼に払う。ごく普通のツアーだけど、それができない状況でしたから。ものを配るだけが支援じゃないと改めて気づかされましたね」
趣味のボウリングを生かし、震災後から定期的に東京で開催してきたチャリティーボウリング大会は、延べ100回以上。震災は、自分の人生観を大きく変えたと考えている。
「ステージで爆笑をとって、テレビにたくさん出て、忙しく過ごすことが幸せなんだとずっと思っていました。でも、自分の子どもが生まれて、初めて抱っこしたときにそれ以上の幸せを感じることができたんです。
人はいつ死ぬかわからない。震災でそれが身に染みてから、無理に仕事を詰め込むよりも家族との時間を大切にしたいと思うようになりました。世間からは、あいつ最近テレビで見ないな、って思われてるかも(笑)。でも幸せって、人にどう見られるか、じゃないと思うから」
気仙沼市では、2021年にすべての仮設住宅が解体・撤去された。新しく生まれ変わった港町で、地元の人々は語り部活動などを通じ、震災伝承の取り組みを次の世代へつなごうとしている。もう15年、まだ15年。マギーさんはこれからも、ふるさととともに歩みを続けていく。
手品師、お笑いタレント。マギー司郎の弟子。「みやぎ絆大使」や「みなと気仙沼大使」を務め、地元である宮城県のアピールに貢献。
取材・文/植木淳子

















