今年、還暦を迎える『笑点』。もともとは、立川談志が日本テレビに持ちかけた演芸番組『金曜夜席』('65~'66年)を前身とし、それを引き継ぐ形で'66年にスタートしたのが『笑点』だった。
番組名の由来は、当時ベストセラーとして話題を集めていた三浦綾子の小説『氷点』をもじり、“笑いの点(ポイント)”にかけて、談志自らが命名したといわれる。
いわばモーニング娘。やAKB48の先駆け! 60年かけて作り上げたプロジェクト
現在は、日曜17時30分から放送されているが、当時は日曜16時30分~17時10分の40分番組。大喜利の司会を五代目三遊亭圓楽が、演芸コーナーとゲストトークの司会を談志が務める“MC2人体制”としてスタートしたことはあまり知られていない。
ほどなくして司会は談志1人となり、五代目圓楽は大喜利メンバーに。
この時代は、ブラックユーモアを好む談志のカラーが強かったこともあり、大喜利メンバーの一人だった桂歌丸は「全然、ウケない。だから、こんなに長く続くとは思わなかった」と振り返っているほど。
とはいえ、談志と五代目圓楽だけが真打ちだったことに鑑みれば、二つ目の若手(桂歌丸、林家こん平も!)を積極的に登用した談志の慧眼(けいがん)たるや恐るべしだろう。
'69年に談志と大喜利メンバーが方針をめぐり対立すると、メンバーは総入れ替えに。ところが、約半年後、談志が突如降板。二代目司会者に抜擢(ばってき)されたのは、人気タレントだった前田武彦。
バラエティー色が強い、4対4の対抗戦大喜利が導入されるなど談志時代と一線を画すほか、「テンテテテテテテ、ッテンテン、パフ♪」のテーマ曲もこの時代に定着するなど、ポップなカラーを打ち出すことでお茶の間の支持も上がっていく。
そして、三代目司会者である三波伸介時代に、『笑点』は絶大な人気を誇るまでに。
'73年には、歴代最高視聴率40.5%を記録。この背景には、ちびっ子大喜利で人気だった山田隆夫(現・座布団運び)らで結成されたアイドルグループ「ずうとるび」の影響もあったが、オープニングの客席からの挨拶、「○○さんの座布団を△△さんにあげて」といった横移動などは、三波時代に生まれたもの。
落語家を巧みに生かす三波の手腕もあって、『笑点』は“国民的”番組として親しまれるようになっていく……のだが、'82年に三波が急死。代理司会を愛川欽也が務めるも、「司会中に(愛川の)手が震えていた」と歌丸本人が後年語るように、その重圧は想像を絶するものだったという。
そこで白羽の矢が立ったのが、五代目圓楽である。これが見事にハマり、歴代最長の23年という司会記録を打ち立て、今なお日曜夕方の風物詩として不動の地位を築くまでになった。
演芸評論家兼エンタメライターの渡邉寧久さんは、同番組の功績をこう語る。
「落語界の1980年代、'90年代は、寄席になかなかお客さんが入らない厳しい時代だった。しかし、『笑点』が放送されることで、世の中に落語家という存在がいる─ショーウインドーのような役割を果たした。着物を着て何かをしゃべる職業があるといったイメージをつないでくれた」
そして、60年続く理由について、
「『笑点』はモーニング娘。やAKB48の先駆けでしょう。メンバーが変わっても、プロジェクトとして続いていく。それは『笑点』の大きな強みだと思います」(渡邉さん)






















