紗文には複雑な生い立ちや最愛の人との死別という過去があり、普段から感情を抑えている側面がある。だが、創と同じ時間を過ごすうちに、少しずつ感情を解放していく。

腑に落ちた感覚が現実の分岐という設定につながった

創と一緒にいると、紗文の中で高校生くらいの女の子が立ち上がる瞬間があるんですよね。彼女には突然、大人にならざるを得ない事情がありましたから、もしかすると16歳くらいで精神的な成長が止まっている部分があるのかもしれません

 創と共同生活を送るうちに、紗文はありえない場所に身体の一部が入り込んだり、この世にいないはずの人の声を聞いたりと不可思議な現象に直面する。そのことを創は次のように説明する。

《これは実家が信仰していた宗教の考え方だったんだけど、自分たちが生きている世界が唯一じゃなくて、すべての人の選択と事象によって分岐した世界が実は無限にあるんだって。

 たとえば失踪って、それまでいた世界の人にとっては相手が消えたようなものだけど、実際はその人自身の世界は失われていないから。そういうのをどんどん広げていくと、すべての分岐に伴う並行世界があって、できごとや生き物は縁でつながっていて、無関係なものはないっていう考え方なんだけど》

「コロナ禍に宮沢賢治に関する小説を執筆した際、賢治がなぜ、仏教と科学と童話的な世界を同じ地続きのものとして書けたのかだけがピンとこなかったんですね。

 そうしたら、あるとき、プライベートで関西地方を旅していて偶然出会ったお坊さんが文学にも精通している方で、賢治について端的に説明してくださり、初めてそれが理解できたんです。あのときの腑に落ちた感覚が、今作のファンタジー的な場面や現実の分岐という設定につながったように思います