「週刊誌なんて大っ嫌い!」
そう言って取材ルームに颯爽と現れた泉ピン子。
「まさか取材受けるとはね(笑)。ないことばっかり書いて、大嫌いだったもん」
と毒舌で沸かせる彼女の著書『ピン!として逝くのもいいじゃない ピン子78歳、最後に残したい言葉』(徳間書店)が話題を呼んでいる。幼いころの両親との確執や芸能生活60年の悲喜こもごも、夫婦のかたちについて。
橋田壽賀子さんの最期
《私ももうこの歳だから、言いたいことはしっかり残しておこうかなと思った。本当に自分の人生をまとめて残すのは、これが最後。全部言うわよ》(『ピン!として逝くのもいいじゃない ピン子78歳、最後に残したい言葉』より。以下同)
と記されているとおり、赤裸々な内容が満載だ。入れるのを躊躇したエピソードはなかったか尋ねると、「ない。ためらったら最後の本にならないでしょ」と即答。
「正直に言うのが私だから。怖いものなんかない。それでよくバズってトレンド1位になっちゃうんだよ。でも、それで生存確認ができるでしょ。ママなんて、すぐ“あの人最近見ないけど、死んだ?”って言ってたから(笑)」
と懐かしく振り返る“ママ”とは、'21年に亡くなった脚本家の橋田壽賀子さん。『おしん』『渡る世間は鬼ばかり』など大人気ドラマでタッグを組み、《私にとって40年にわたる友であり、一番の理解者であり、味方だった》と記す、特別な存在だ。
《ママは「家族みたいな人」じゃなく、家族だった。あの人が書いた本の中の人を演じて、私は今まで生きてきた。世界中を一緒に旅行し、ケンカもした》
同書には2人の楽しそうな写真も掲載されている。
「水着の写真があるでしょ。このとき着替える場所が遠くて、“あんたのせいで!”って言われてさ、“決めたの私じゃないわよ”って返して(笑)。親子みたいに見えるんだよね。今でもうちにいっぱい写真飾ってあるよ」
熱海に住んでいた橋田さんに誘われピン子も移住し、最期を看取った。
《ママとの別れは本当に身を切られる思いだった。ご存じのとおり、私から橋田壽賀子を取ったら、何も残らないのよ》
危ないと聞いて駆けつけ、声をかけ足をさすりながら寄り添った最期。そしてその後は、
「死化粧をして松竹梅のドレスを着せて。いちばんショックだったのは白髪がすごくあってね。白髪大嫌いな人だから一回も見たことなかったし、私にも“染めなさい”って言ってたのに。だからマスカラ1本なくなるくらい使って黒くした。私の今の髪見たらきっと怒るよ〜(笑)」
出棺までずっと気を張っていたが、火葬場での待ち時間にその糸が切れた。
「それまで泣かなかったんだけど、壁の向こうに行って、うわー!って大泣き。(事務所の)社長が“ピン子ちゃん、大丈夫か?”って言うのが聞こえた。思いっきり泣いたね」























