元カレへの当てつけで23歳で結婚退職

 当時、女性の新入社員は男性社員の花嫁候補として見られることも多く、社内結婚も多かった。西崎さんも入社後、社内恋愛をしていたが、あるとき彼に複数の交際相手がいることを知ってしまう。その彼とはきっぱり別れたが、西崎さんは「23歳のうちにこの男の目の前で結婚報告をしてやる!」と復讐を心に決めた。そこから猛然と相手探しを始めたのだ。

「結婚相手の条件の第一は、岡山から出られること。第二は専業主婦になることでした。母が看護師で家にいないことが多く、子ども心に寂しさを感じていたので、結婚後は仕事をしたくなかったんです」

 そして、神戸に住む友人を訪ねた際に、その条件にぴったりの人物を紹介された。大手企業に勤めていて、転勤がある。収入も高く、西崎さんが働く必要もなかった。当時理想とされていた3高(高学歴、高収入、高身長)に当てはまる相手だ。数回のデートの後、ちょうど彼の福岡転勤が決まったことで、結婚を前提に交際することになる。

「まさに計画どおりでした。会社では元カレがいるタイミングを狙って部長を呼び出し、『結婚退職をします』と告げたんです。その瞬間、勝ち誇った気持ちになったことを覚えています」

 しかし振り返ると、そのときが“ウエディングハイ”のピークだった。結婚式当日、バージンロードへの扉が開いた瞬間のことを、西崎さんは今も忘れられない。

「教会の中に似た体形の男性が3人立っていて、一瞬どれが夫かわからなかったんです。とにかく結婚がしたくて条件で選び、夫のことをよく見ていなかった証拠です。新婚旅行先では夫に『30歳のあなたが24歳の私と結婚できるなんて超ラッキーよ』と言い放ちました。若い私はチヤホヤされて当たり前だと思っていたんです。今考えるととんでもない女ですよね(笑)」

バブル絶頂期の大学時代を経て社会人になるも、ほどなく結婚退職した西崎彩智さん。当時の女性の就職は結婚までの“腰かけ”が当たり前だった
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【写真】自己肯定感のアップにもつながる“西崎流”片づけ講座

 高飛車だった西崎さんだが、結婚生活が始まると形勢は変わっていく。夫は男尊女卑の考えが強い九州出身で、男3人兄弟。

「義父はテーブルにあるお茶を飲みたいとき、自分で取らずにキッチンに立っている義母を呼ぶような家庭です。父権が強い田舎の家庭で育った夫は、プライドが高く、当然、家の中のことは何もしてくれませんでした」

 西崎さんの実家は、母親も働いていて、夫婦は対等な関係だった。

「父は私に『パパが仕事ができるのはママのおかげだ。おまえたちのことをやってくれるから、パパは今日も働けるんだ』とよく話してくれました。だから結婚とは夫婦で助け合っていくものだと思っていたのに、夫は『妻は夫に従うものだ』という考え。機嫌が悪いと『誰のおかげで飯が食えていると思ってるんだ!』『なめた口をきくな!』と怒鳴り、怖くて口答えができなくなりました」

 さらに、西崎さんは子どもができにくい体質だということがわかった。

「なかなか妊娠しなくて病院に行くと、卵巣機能の異常や子宮内膜症といった問題が見つかったんです。25歳から不妊治療を始めましたが、義父からは『孫ができないなんて何のために結婚したんだ』と責められて。でも離婚は世間体が悪くて考えられず、治療を続けて娘と息子を出産することができました」

 子育てが始まっても夫は協力してくれず、何かにつけて「おまえはダメな人間だ」と言われる。どんどん自己肯定感が低くなっていく中で、唯一、自信が持てたのが片づけだった。

「ママ友が遊びに来たときに『片づいていて気持ちのいい部屋だね』と褒めてくれたんです。それがうれしくて、みんなが褒めてくれるような部屋づくりと片づけが趣味になっていきました」