目次
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ー 「音楽は聴くものやない」
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ー 所持金はわずか10円
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ー ブルースの血は流れてはいない

 養父に対する葛藤、音楽への目覚め─。自分が楽しいと思うことを続けてきた、と語る上田。ヒット曲『悲しい色やね』に対する思いや、R&Bシンガーとして抱いてきたコンプレックスなどを節目の年に振り返る。

「音楽は聴くものやない」

 1983年『悲しい色やね』が大ヒット。今や国内はもとより、世界でも活躍するR&B・ソウルシンガー、上田正樹も今年の7月7日、「七夕の日」にめでたく喜寿を迎えた。そんな上田正樹が今、波瀾万丈の半生を振り返り、熱い思いを語ってくれた。

 『朝日のあたる家』の世界的な大ヒットで知られるアニマルズのライブを初めて見たのは、高校2年のときだった。

グルーヴ(一体)感が自分に合っていた。音楽に身体ごと酔いしれる感覚をアニマルズで初めて知り、ものすごい衝撃を受けた。最前列で“イェーイ!”って叫んでいたら、ボーカルのエリック・バートンが握手してくれてね。訳もわからずうれしかったな

 ブルースのことなど何も知らなかった上田が体験した衝撃のライブ。

ジョン・リン・フッカーが作ったトラディショナル・ブルース『Boom Boom』という曲がゴキゲンでね。その後、何度も歌わせてもらった。音楽は聴くものやない、自分がやりたいこと。絶対にシンガーになるって決めた

 このとき、上田が通っていたのは生徒の誰もが東大を目指しているような岐阜県の進学校。しかも上田の目標は東大医学部だった。ところがアニマルズと出会って、すべての価値観がひっくり返ってしまう。

ちゃんといい学校を出て、安定する仕事に就けば人生は豊かに過ごしていける。だけど世の中で“いい”と思い込まされていたものが本当にいいとは限らない

 アニマルズのライブを見て以来、音楽にのめり込んでいった上田。19歳のとき、ついに家出。大阪の西成に住み着く生き方を選ぶ。そうするには彼なりの切実な理由があった。

 上田が生まれたのは京都・東山。呉服店を営む父方の祖父のもとで小学校に上がるまで過ごした。