京都大学医学部を卒業した父は医師になったものの結核に罹り、兵庫県の国立結核療養所に入院。そんなとき、母は父の学生時代の同級生の医師と駆け落ちしてしまう。しかも父が亡くなると、その男が上田の養父となった。
所持金はわずか10円
「養父とはソリがまったく合わず、岐阜の名門高校に越境入学して、東大の医学部を目指したわけです。僕にとって超えるべきは実の父ではなく、納得できない養父だった」
ところが音楽にのめり込みすぎ進学校にいられなくなった上田は、バイトしながら別の高校を卒業する。兄の財布から3万円拝借して、ギターを抱え、大阪・天王寺の公園で寝泊まりしながら、ディスコやクラブに出入りした。
「シンガーなんですけど、僕を使ってください」
3か月後、願いが叶った。エディ・フロイドの『Knock on Wood』を歌って、明日から来てくれと言われた。
「所持金は底をつき、わずか10円。この日がギリギリのタイミング。もし決まらなかったら、音を上げて実家に帰っていたかもしれないし、裏街道を突っ走っていたかもしれない」
やがて数々のミュージシャンとセッションやライブを重ね'74年、伝説のスーパーバンド「上田正樹とサウス・トゥ・サウス」を結成。
'74年8月に国内で活躍する有名アーティストに加え、オノ・ヨーコ、クリス・クリストファーソンやリタ・クーリッジ夫妻も参加する巨大ロックフェス「ワンステップ・フェスティバル」に出演して熱狂的な歓声を浴びた。
上田は「サウス・トゥ・サウス」時代をこう振り返る。
「京大の講堂のライブ演奏中、音楽を聴いて興奮したのか、角棒で観客が殴り合うなんてしょっ中さ。ステージに上がってこないように木槌持って座ってるライブスタッフもいたな(笑)」
当時のバンドブームの頂点に立った「上田正樹とサウス・トゥ・サウス」。だがその熱狂は2年しか続かなかった。'76年、ライブアルバム『この熱い魂を伝えたいんや』を残して解散する。
「音楽って何年やっていても壊す勇気とエネルギーが必要なんです。自分の気持ちを押し殺してまでやるのは嫌だったな」



















