中森明菜の19枚目のシングル『難破船』
3週間後の8月2日、日比谷野外音楽堂でコンサートを開いた加藤登紀子のもとに、中森明菜の名前で花が届いた。程なく明菜の所属するワーナーパイオニアの担当者から「例の曲ですがレコーディングに入りました」と報告があった。「どうやら気に入ってくれたらしい」と加藤は満足しつつ、展開の早さに舌を巻いた。
1987年9月30日、中森明菜は19枚目のシングルをリリースする。この曲こそ彼女の代表曲の一つとなる『難破船』(作詞/作曲・加藤登紀子)である。なぜ、明菜はこの“20歳の失恋ソング”を歌うことを即決したのだろう。
1965年、東京都大田区生まれ。母親の影響もあり、少女時代から歌手になる夢を抱いていた中森明菜は、16歳のとき『スター誕生!』(日本テレビ系)で合格。'82年『スローモーション』で歌手デビュー。以降『少女A』『禁区』『北ウイング』とヒット曲を飛ばし、'85年には『ミ・アモーレ』、'86年には『DESIREー情熱ー』と2年連続で日本レコード大賞を受賞。名実共に歌謡界の女王に君臨する。
私生活では近藤真彦との交際が発覚。スタートは'83年の夏ごろで、以降、近藤が出場するレースを平然と観戦したり、六本木を一緒に歩いたりとオープンな交際を繰り広げた。
当然、近藤のファンの憎悪を買うことになる。渋谷公会堂で公開生放送だった『ザ・トップテン』(日本テレビ系)の本番終了後、駐車場で親衛隊に襲われ、同じく『トップテン』で歌っている最中「帰れ」コールを浴びたこともあった。完全な放送事故で、双方が所属するジャニーズ事務所と研音の関係も決して良好とは言えなかった。
明菜が22歳の誕生日を迎えた'87年7月は、交際から4年がたち、倦怠期を迎えていた時期と重なる。『難破船』のリリースから1か月後の『週刊明星』(1987年11月5日号)は、深夜の六本木で「あんたなんか大嫌い」と叫んだ明菜が、近藤の前から去ったと報じている。加藤登紀子が2人の関係をよく知る立場にあったか判然としないが、『ザ・ベストテン』の画面から恋に疲れた様子を感じ取ったとすれば、その慧眼に脱帽するほかない。




















