『難破船』は多くのファンを魅了

 事実、中森明菜の歌う『難破船』は多くのファンを魅了したが、問題は《1つの歌を映画のように深く描き切る》だけに、歌えば歌うほど明菜自身の心象風景までが映し出され「マッチとの恋はうまくいっていない」と大衆に周知させたことだろう。

 その典型とも言えるのが、'88年1月6日放送『夜のヒットスタジオDELUXE』である。この日は加藤もゲストに名を列ねており“生みの親”の前で初めて『難破船』を披露することになった。

 白無垢をイメージした意味深なドレス姿で現れた明菜は「ほかの誰かを愛したのなら 追いかけては行けない」というBメロを歌い始めた直後、絶妙なタイミングで左目から涙を零した。スタジオの後方で神妙そうに明菜を見つめる加藤の表情は「この曲を提供したのは本当に正解だったのか」と自問しているようにも映る。

 この『夜ヒット』から1年半後の'89年7月11日、中森明菜は近藤真彦の自宅マンションで自殺を図った。「一番好きな人に、一番最初に発見してほしい」という心情は隠しようもなく、その年の大晦日の午後10時に突如挙行された「金屏風会見」で近藤との関係は終わりを告げる。「みじめな恋つづけるより 別れの苦しさえらぶわ」という『難破船』の歌詞そのままの結末を迎えたのだ。

 '90年代に入るとドラマ出演などもあって新境地を開拓したかに見えたが、奇行やトラブルが目立つようにもなり、復帰と休養を繰り返した。奇しくも彼女自身が“難破船”となってしまったのである。

 その中森明菜が2026年7月17日『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)に30年ぶりの生出演を果たした。そこで彼女が歌ったのが7月1日リリースの新曲『ごめんと、すきと、』と『難破船』だった。表向きの理由は「MCのタモリのリクエスト」だったが、明菜自身が選んだのは間違いないのだろう。

 筆者もオンエアを視聴したが、テレビ復帰でいきなりの『難破船』は完成度が高いとは到底言えず、彼女の真意をつかみかねた。しかしである。

「難破船に乗って遠ざかった自分が、難破船に乗って舞い戻ってきた」

 と言いたかったとすれば、長い空白期間は必ずしも無駄ではなかったのかもしれない。

<取材・文/細田昌志>

ほそだ・まさし 職を転々としたのち作家に。2020年刊行『沢村忠に真空を飛ばせた男』(新潮社)で講談社本田靖春ノンフィクション賞、2024年刊行『力道山未亡人』(小学館)で小学館ノンフィクション大賞を受賞。