音楽に対する自信
今でこそ、人員確保のため一般家庭にも門戸が開かれているが、かつては楽家に生まれた男子のみ、中学卒業と同時に入るのが普通だったという。18歳という年齢も異例なら、それまで雅楽に関わってこなかったことも異例だった。
ロックンロール魂、しかも外国帰りの少年が宮内庁に入り、反骨精神は芽生えなかったのかと訝ってしまうが、これが功を奏したと、さらりとかわす。
「海外の自由な空気を吸い、音楽を好きなように楽しんでいたからこそ、雅楽もロックやポップスと変わらず受け入れ、吸収できた。雅楽を学ぶ中で生まれた問いに対して考えることなんかも、このような環境があったからだと思います」
雅楽とロック。方向性は真逆と思えるが、
「僕はジャンルにこだわりはない。だから、篳篥とギターでセッションしようぜ、となっても、抵抗はなかった。宮内庁の楽部では、一人に一部屋が与えられ、みんなそこで楽理の研究や楽器の練習をするんです。でも僕は一人になるとギターを弾いたりもしていましたね。それも音楽の研鑽でもありますから」
10年間宮内庁に勤め、辞表を提出した。宮内庁楽部といえば、安定した国家公務員、雅楽では最高峰の地位と名誉が与えられる場所だ。そこを辞めるからにはよほど確固たる将来の道筋があるのだろうと周囲は思うだろうが、
「先のことなんか何も決まってなくて、レールどころか枕木の一本さえない状態。でもね、音楽に対する自信だけはあった。ピアノやギターは弾けるし作曲もできるけど、正式に習ったこともないし、楽譜もそんなに読めない。
でも、個人的にやっていたライブでは、お客さんが楽しんでくれているのを目の当たりにしていたから、フリーになってもやっていけると確信していました。
閉じられた伝統芸能の世界から、たまには僕のように野に出て、雅楽を世に問う人がいてもいいと思ったんですね。雅楽が持つ宇宙観や精神性、日本人の心を伝えつつ、自分のやりたい音楽を続けるには、それがベストでした」
東儀さんの手がけた雅楽と現代音楽のコラボレーションは旋風を巻き起こした。伝統を継承し、そこに独自の感性で命を吹き込む「守破離」の姿は一躍脚光を浴び、ほどなくその独自の音楽観には「TOGISM」と名がつくこととなる。
以降、テレビ、CM、映画などでも活躍を続けてきた。品格あるたたずまいや所作で「天皇」役を演じた際には、実際に皇族方の前で演奏した経験もあってか、評判は上々だった。
「ドラマでは、演出家の要望に応えることの難しさと面白さを感じました。映画監督やプロデューサーなどに向いているかなと考えることもありますね」



















