家庭ではなくストリートが「初めて仲間ができた場所」
父親の逮捕、両親の離婚、引っ越し、そしてモモコとの別れ。次々と居場所を失った風間さんが向かったのは、ストリートだった。
そこにいたのは、風間さんと同じように、家庭の中に居場所を見つけられない子どもたちだった。
「親が自殺したとか、親が服役しているとか、親が薬物を使っているとか……。それぞれが過酷な家庭環境を抱えていました。『初めて自分が仲間として受け入れられた場所』でした」
タバコ、飲酒、ガス吸引、深夜の徘徊、原付の乗り回し。大人から見れば「非行」と呼ばれる行為を重ね、次第に帰宅せず、仲間の家を転々とするようになった。
「大人たちは『ルールを守れ』と言いますが、その大人自身が家庭内で暴力を振るったり、薬物を使う。なぜ、そんな大人たちから説教されなければならないのでしょうか」
中学1年生のころ、警察に補導され、児童相談所の一時保護所に入所。その後、生活指導を必要とする子どもたちのための児童自立支援施設に入った。ようやく支援を受けられる場所にたどり着いたーーはずだった。
しかし、そこも安全な場所とはならなかった。あるとき、保護されたほかの子に声をかけ、その子が泣き出したことで、風間さんは「個別指導」の対象になった。全員から見えるホールで書写か黙想をする二択。毎日、体育館を100周するマラソンも義務づけられた。
精神科を受診し、服薬が始まった。強いストレスやトラウマの中で感覚や記憶が断片化する「解離性障害」と診断された。解離状態のときの記憶がなく、覚えていない行動を周囲から指摘される。それが「ウソつき」という評価につながり、いじめの対象にもなった。
苦痛をやり過ごすため、処方薬や市販薬を飲んで眠る「寝逃げ」をした。施設内では刃物が使えないため、シャーペンや鉛筆で自傷し、眉毛を抜いた。脱走も試みた。祖母の家まで逃げても父親に通報され、施設へ連れ戻された。
戻されたあとには絶食で抵抗した。ため込んだ処方薬をオーバードーズし、台所にあった漂白剤を飲み、ドレッシングの空き瓶を割って手首を切ったこともある。
「自分にはもっとできたことがあったと思いますが、施設の中で力を奪われました。そのことに気づいたとき、脱走しました。ただ、今の自分があるのも、これまでの全部があったからです」
脱走も自傷も、外から見れば問題行動だった。だが風間さんにとっては、奪われた自分の力を取り戻そうとする行為でもあった。



















