やめることより、生きること
中学を卒業し、施設を出たあと、風間さんは自立するために仕事を探した。だが顔にはピアスの穴、指にはタトゥー、手首には根性焼きの痕がある。一般的な就職の道を選ぶことは簡単ではなかった。
そこで始めたのが、フリーランスの写真家だった。父親はバンドマンで、その周囲にいたバンドメンバーのライブ写真や動画を撮った。評価され、自分でカメラを買い、仕事で得た金でさらに高価な機材を手に入れた。当時増えていたクラウドソーシングでも仕事を得た。写真だけで食べられないときには、ギャンブルで金を得ることもあった。
一方、薬物への依存は深まっていく。精神科の処方薬だけでなく、市販薬を飲み、やがて違法薬物にも手を出した。
「自分にとって薬物は、単なる快楽のためではありませんでした。人間は信用できませんが、薬は期待した効果を返してくれます。薬物は『親代わり』のような存在でした。薬がなければ、憎悪によって他人を殺すか、自分を殺すかという極限状態でした」
外から見れば、「そこまで苦しいなら、なぜ薬物をやめないのか」と思うかもしれない。だが本人にとっては逆だった。薬物をやめることは、生きるために握っていたものを手放すことでもある。「やめたら、どうやって生きるのか」。それが風間さんの側にあった問いだった。
交流があり、薬物依存を専門とする精神科医の松本俊彦さん(59)は話す。
「風間さんのように話す人は、意外と少なくないと思います。逆に言えば、『ダメ。ゼッタイ』と言われている薬物にあえて手を出す人は、よほどの問題を抱えているということです」
2011年3月、19歳のとき、大きな転機が訪れた。薬物のオーバードーズで倒れ、意識不明になった。その場にいた仲間は、通報して逮捕されることを恐れ、救急車を呼ぶのが遅れた。
集中治療室に運ばれ、2週間以上眠り続けた。その間に東日本大震災が起きているが、地震にも気づくことはなかったという。目を覚ましたとき、風間さんの身体にも大きな変化が起きていた。
「長時間、足を交差させた状態で倒れていたため、左下肢の重い機能障害が残りました。転院先では、『物質使用障害』と診断され、依存症外来への通院をすすめられました。自分にとっては生存の支えだった薬を取り上げられてしまうと思い、不安でした」
医療側から見れば治療の対象である薬物依存が、本人にとっては生きる支えだった。そこで風間さんは「依存症」というラベルを貼られたと感じ、医療への怒りを募らせた。
違法薬物の入手が難しくなると、酒を求めて新宿ゴールデン街を歩き、安い初回料金のホストクラブへ行き、宗教団体の施設で雨風をしのいだ。その日を越えられればよかった。
やがて依存の対象は薬物からアルコールへ移った。朝からウイスキーを飲む生活になった。
依存していたものを取り上げても、その人が抱える孤立や苦痛まで一緒に消えるわけではない。空いた場所には、別の何かが入り込むことがある。後に支援する側になった風間さんが、「本人が何を求めているのか」を何より重視する背景には、自身が味わったこの経験がある。



















