自身も妻に先立たれた山田洋次監督の言葉

 7月26日には、『男はつらいよ』の山田洋次監督も見舞いに駆けつけた。だが、7月30日、和子夫人はついに帰らぬ人となる─。

「30日の朝5時半に病院から、容体が悪化したから来てくれって連絡があって、病院に駆けつけたの。でも、経済誌のインタビューの仕事が入ってたから、離れたくなかったけど行ったわけ。で、仕事の途中に息子に電話したら“ごめん、亡くなったよ”って。もう、それで仕事できないよね。“すみません”って言って、すぐにタクシーで病院に戻ったけど、もう霊安室にいましたよ」

 そんな蛾次郎を、ことさら気にかけているのが山田監督だ。監督自身も、’08年に妻に先立たれている。

「監督からは“蛾次郎、女房より先に死ねよ”って言われていたの。カミさんが亡くなったときも監督は“つらいだろう”ってすごく心配してくれて。今も“大丈夫か?”って電話してくれるんですよ」

佐藤蛾次郎ファミリーと山田洋次監督。15年ほど前に自体で──
佐藤蛾次郎ファミリーと山田洋次監督。15年ほど前に自体で──
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 山田監督との出会いは、蛾次郎がまだ大阪のプロダクションに所属していたころ。’68年に公開された映画『吹けば飛ぶよな男だが』でのオーディションだった。

「オレが22くらいのときだったかな、山田洋次という偉い監督が大阪弁を話せる男の子を探しているっていうんだけど、こっちからしたら“山田なんちゃらって監督って誰だよ”みたいな感じで。で、2時間遅れでオーディション会場に行ったのよ。事務所のマネージャーが来て、“もう終わってるけど、監督はお前を待ってる”って言うんだよ。

 でもやる気ないからさ、短い脚組んでタバコをフーって吹かしてさ。で、監督は“佐藤クンはどんな役をやりたいんだい?”なんて聞くから、“オレか? オレは不良だよ!”って。それが気に入ったみたいだね。でも、いまだに監督からは“あのときはひどかったなあ”って言われますよ(笑)」