芸能
2026/2/7

アントニオ猪木の弟・啓介が明かす「おまえがやれ」で始まった二人三脚、ブラジル移住に40億円事業失敗…そして最期の介護まで

アントニオ猪木プロレス文化人タレントスポーツ人間ドキュメント
2022年春、ホテルオークラにて。「この時点では10月に亡くなるとは思わなかった」(啓介さん)
[写真 1/12枚目] 2022年春、ホテルオークラにて。「この時点では10月に亡くなるとは思わなかった」(啓介さん)
「株式会社猪木元気工場(IGF)」の代表取締役社長を務め、AI事業などにも力を入れる(撮影/近藤陽介)
[写真 2/12枚目] 「株式会社猪木元気工場(IGF)」の代表取締役社長を務め、AI事業などにも力を入れる(撮影/近藤陽介)
1953年、横浜で生活していた当時の猪木家。後列左より4男・快守さん、3女・京さん、6男・寛至さん、母・文子さん、祖父・寿郎さん。前列左より啓介さん(5歳)、4女・佳子さん
[写真 3/12枚目] 1953年、横浜で生活していた当時の猪木家。後列左より4男・快守さん、3女・京さん、6男・寛至さん、母・文子さん、祖父・寿郎さん。前列左より啓介さん(5歳)、4女・佳子さん
70年代前半、リオのビーチで19歳の啓介さん(中央)とアントニオ猪木氏(右)。左は5男の宏育さん
[写真 4/12枚目] 70年代前半、リオのビーチで19歳の啓介さん(中央)とアントニオ猪木氏(右)。左は5男の宏育さん
80年代。当時のブラジル大統領、ジョアン・フィゲイレド氏(右)の説明を聞くアントニオ猪木氏(左)と通訳する啓介さん
[写真 5/12枚目] 80年代。当時のブラジル大統領、ジョアン・フィゲイレド氏(右)の説明を聞くアントニオ猪木氏(左)と通訳する啓介さん
2003年9月、ブラジルのマナウスで行われた格闘技大会「ジャングル・ファイト」にて。啓介さんは現地コーディネーターも務める
[写真 6/12枚目] 2003年9月、ブラジルのマナウスで行われた格闘技大会「ジャングル・ファイト」にて。啓介さんは現地コーディネーターも務める
2000年代後半。左から4男・快守さん、アントニオ猪木氏、啓介さん。「快守兄貴が後にテノール歌手になったのは、寛至兄貴への対抗心も少しはあったと思う」(啓介さん)
[写真 7/12枚目] 2000年代後半。左から4男・快守さん、アントニオ猪木氏、啓介さん。「快守兄貴が後にテノール歌手になったのは、寛至兄貴への対抗心も少しはあったと思う」(啓介さん)
90年代、40代前半の啓介さん。親交のある作曲家の遠藤実氏(左)と
[写真 8/12枚目] 90年代、40代前半の啓介さん。親交のある作曲家の遠藤実氏(左)と
1980年、ブラジル政府の要人を招き「アントン・ハイセル」リサイクル工場の操業式典にて。左端は5男の宏育さん
[写真 9/12枚目] 1980年、ブラジル政府の要人を招き「アントン・ハイセル」リサイクル工場の操業式典にて。左端は5男の宏育さん
2022年8月、療養先にて。他界する2か月半前のアントニオ猪木氏(右)と啓介さん
[写真 10/12枚目] 2022年8月、療養先にて。他界する2か月半前のアントニオ猪木氏(右)と啓介さん
兄譲りの身振り手振りで昔日の思い出を話す啓介さん。自身が社長を務めるIGFオフィスには、兄・アントニオ猪木氏のパネルのほか、プロレスファンとして知られる野田佳彦元首相から贈られた「初志貫徹」の色紙などが並ぶ(撮影/近藤陽介)
[写真 11/12枚目] 兄譲りの身振り手振りで昔日の思い出を話す啓介さん。自身が社長を務めるIGFオフィスには、兄・アントニオ猪木氏のパネルのほか、プロレスファンとして知られる野田佳彦元首相から贈られた「初志貫徹」の色紙などが並ぶ(撮影/近藤陽介)
「兄とは多くは語らず、ずっとツーカーな関係でした」と振り返る啓介さん(撮影/近藤陽介)
[写真 12/12枚目] 「兄とは多くは語らず、ずっとツーカーな関係でした」と振り返る啓介さん(撮影/近藤陽介)
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