まったくもって人生、思い起こせば恥ずかしきことの数々――。あれは私が高校3年の夏でした。

7年半の鬱を自力で克服

 ある日、クラスの女の子、しかも結構な美人に告白され、私は身の上に降って湧いた椿事に有頂天。なのに……不幸は突然やってきました。行きつけの理髪店で、髪を切っていたオヤジが急に「これはあんた、はげるね〜」と、やたらキッパリ言ってきたんです。

 えっ……うそ……。青ざめていく私をよそに、自分は専門家だからと、見ればすぐわかると、なおも太鼓判を押してくる。「間違いない。この頭ははげる」。

 その日から、朝は枕に付いた抜け毛に狼狽し、夜に風呂場で髪を洗っては肝を潰し、このままでは「卒業式はツルッとはげた頭の高校生なんだ!」と激しく煩悶する日々。18歳の若者はすっかりノイローゼ状態となり、徐々に引きこもりがちになっていきました。

自分を閉じ込めたのは、自分の欲だった
自分を閉じ込めたのは、自分の欲だった
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 しかもその期間、なんと7年半。人生にたった一度しかない10代後半から20代半ばの青春時代を、自らの取り越し苦労で灰色に塗り込め、鬱という暗い沼の底に居続けることとなったのです。ウソみたいでしょうが、これが正真正銘、本当の話。

 大学生となり、20歳を過ぎると、さすがに私自身もじれ始め、いい加減、悩みの中に居るのが苦しくなりました。しかし、脱毛は進行しているように思える。気分は晴れない。そこで私は、悩みとはいったいなんなのかと考え始め、その答えには意外と早くたどり着きました。それは、私の欲でした。

 美人の彼女ができたことに浮かれ、自分は外見で得をしているとでも、一瞬勘違いしたのでしょう。しかし、若くしてはげた頭では周囲の評価は急落し、私の人生は損をする……そんな未知の人生は恐怖であり、受け入れたくありませんでした。

 あのときの私は、じだんだを踏んでいつまでも道の途上にしゃがみ込み、泣きじゃくる。子どもが駄々をこねるあの行為を、引きこもることで延々と実践していたのです。

 悩みの底にあるものは、人の欲だと思います。ただし、他の生命体より得をしたいと欲望することは、人が生きていくうえで当然のことであり重要なことでしょう。だから欲を否定してはいけません。人間は、欲に突き動かされて動き回るもので、欲を失うことこそが人にとっていちばんの致命傷だと予感するからです。

 しかし。一方で、その欲が実現不可能なものであるにもかかわらず、それでも「その欲を捨てられない」と固執し続けるならば、それは生命体としてなんらかのシステム異常、暴走、バグということかもしれない。悩みすぎたことで失った時間に焦り、また新たな後悔が生まれ、さらなる自己嫌悪に陥る。

 こうして帰り道を見失い、藪(やぶ)から出られずに、今度は自ら負のらせん階段をどこまでも、どこまでも降りていく。行き着く先は、自滅であろう。「悩む」という行為も、しすぎれば自分を慰めるという効果を通り越し、精神を不健康な状態へ追い込んでしまう。