「関心をもってくれる人がいるとわかると、考え方が明るくなる」

巨石をネット販売した河井さん(左)と山下さん(右)

 御船の復興に尽力している河井さんは大阪出身。仕事で多忙な日々を送っているうちに原因不明の病気になった。もっと人として自然な暮らしをと考え、大分県中津江町の地域おこし協力隊に応募。平成24年から3年間、中津江町で集落支援、農業支援などをしながら暮らした。その任期が終了したのが去年3月。

「4月から無職だからどうしようと思っていたら、熊本地震が起こった。ボランティア希望の人たちを案内して西原村に入ってみると、あちこちとんでもないことになっている。“何かお手伝いすることはありませんか”という言葉が自然に口から出て。そのまま西原村で農業ボランティアのとりまとめに従事して、今は御船町にどっぷり関わっているんです」

 報酬はどこからも出ないが、「田舎だから野菜などをくれる人がいて、妻とふたり食べるには困らない」と豪快に笑う。

 県外の人間だからこそ見えてくるものがある。前出の山下陽子さんは、河井さんとともに巨石をネットオークションにかけたことで生活が変わった。

「今までは熊本県内、せいぜい九州でしか人とのつながりがありませんでした。でも今回の件で、全国の方からお手紙をもらったり励ましの言葉をいただいたりして。関心をもってくれる人がいるとわかると、考え方が明るくなって、地域のためにいろいろなことをしてみたい気持ちが強くなりましたね」

 山下さんは息子世代の河井さんとともに笑顔を見せた。

 御船町は7つの地域で構成されている。

「今回の地震では、その後の対応にけっこう地域差が見られました。日ごろからコミュニティーがしっかりしているところは“自助、共助、公助”の考え方が根づいていて、“とりあえず地区で10日間はがんばろう”と話し合っていたようです。むしろ町の中心部はコミュニティーが弱かった。食料も水もなんとかしてくれ、と役場に訴えてくる人たちもいましたね」

 御船町役場の総務課長・吉本敏治さんはそう話す。

 これは熊本地震に限らず、他の地域にもあてはまる。御船町で町が指定した避難所は15か所ほどだったが、あちこちの駐車場に車中泊の車が並び、地域での安否確認がとりづらかった。また、給水場所や救護など、刻々と変わる情報を町民全体に行き渡らせることができなかったことが町役場としては歯がゆかったという。

 時間がたつと避難所生活に慣れてしまった人も見られ、「早く自立心を回復させる必要がある」と吉本さんは痛感した。