佐々井一家、ここにあり!

 インドでは佐々井を知らぬ歴代の首相はいない。強きをくじき、弱きを助ける。破天荒な行動力、義理人情、それでいてユーモアのある性格が愛され、インドラ寺の一角にある佐々井の小さな部屋の前には、毎日、行列ができる。

インドラ寺にある10畳ほどの佐々井さんの部屋。ついたての裏にベッドがある。毎日のように人々が陳情に訪れる 撮影/白石あづさ
インドラ寺にある10畳ほどの佐々井さんの部屋。ついたての裏にベッドがある。毎日のように人々が陳情に訪れる 撮影/白石あづさ
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「もう、いろんなやつが来るよ。弁護士から医者に泥棒、酒飲みまで。貧しさから悪の道に進んでしまう者もおるが、根が悪いわけではない。1度、30人も殺したという大悪党の男を改心させて頭を丸めさせたことがある。泣く子も黙る佐々井親分だって? おう、佐々井一家には違いないな!

 精悍(せいかん)な顔が一瞬でしわくちゃになり、ガッハッハ、と豪快に笑いだした。普段、佐々井の身の回りの世話をしている青年、ゴータマさんも佐々井一家のひとりだ。

「両親ともに仏教徒で、ゴータマとは佐々井さんがつけてくれたブッディストネームです。ブッダガヤーのデモに連れて行ってもらった時、一歩も引かずすごい人だなあ、と。でも僕は高校生の時に、仏教で禁止されている酒を隠れて飲んで荒れていた。佐々井さんからもらったお小遣いも嘘をついて酒に使ったんです。でも前から知っていたんでしょう。ある時、真剣に怒られキッパリやめた。本気で心配してくれているのが伝わったからです。道に迷ったとき導いてくれる。誰に対してもそう」

 知名度が上がるにつれ、忍び寄ってくるのが敵だ。人気を妬(ねた)み、悪い噂を吹聴する者や、急に増えた仏教徒に恐れをなし暗殺をくわだてる者もいる。食事に毒を入れられ意識を失ったり、壇上から突き落とされ病院に運ばれたことも1度や2度ではない。日本でも、「佐々井のやっていることは仏教ではない。ただの社会運動だ」と批判されたことがあった。

「ただ静かにお経を上げ、お布施をもらうだけが僧侶ではない。何もせんやつに何を言われようとかまわん」と意に介さない。

 ところが、そんな肝の据わった佐々井に一大事が起きた。1987年、不法滞在で逮捕されてしまったのである。

 インドに渡って20年、とっくに滞在ビザは切れている。帰らなかった、というより困っている民衆を見捨てて帰ることができなかったのだ。一歩も引けない問題が山積みで、途中で自分が抜けたらガタガタに崩れてしまうことを知っていた。

「シューレイ・ササイ逮捕!」という新聞各紙の見出しに、民衆は立ち上がった。「今度は自分たちが守る番だ!」と、仏教徒は署名運動に奔走。首相のもとに60万人分の署名が持ち込まれ、ヒンドゥーやキリスト教徒にも応援してくれる人が現れた。そしてついに国籍を取得。数十万の市民が街に繰り出しパレードをして佐々井を祝福した。

剃りたての頭に新しい僧衣を身につけた“新人坊主”たちを前にして、眼光鋭くひとりひとりの顔を見つめる佐々井さん 撮影/白石あづさ
剃りたての頭に新しい僧衣を身につけた“新人坊主”たちを前にして、眼光鋭くひとりひとりの顔を見つめる佐々井さん 撮影/白石あづさ

 インドでは全国紙に顔が出る佐々井だが、日本ではほとんど知られてこなかった。ずっと孤軍奮闘してきたのだが、最近、祖国でも支援の輪が広がり始めた。

 映像ジャーナリストの小林三旅さんが佐々井を知ったのは、1冊の古い週刊誌だ。「この破天荒な坊さんは何者なのか?」とひとりでカメラを抱えてインドに飛び1か月に及ぶ密着取材を敢行。2004年、『男一代菩薩道』と題した番組が放送されると、深夜番組ながら反響を呼び5回も再放送されたという。

「次の仕事が始まれば、前の仕事など次第に忘れてしまうものですが、佐々井さんの生涯を追い、支援することがライフワークになりました。うまく言えないけど、とにかくおもしろいんですよ。四六時中、人の幸せしか考えていない。今まで坊さんというと葬式くらいにしか会わないし興味もなかったのですが、ああ、これが本当の宗教家なんだと」

 最初の放送から10年後、岡山の住職、佐伯隆快さんとともに、佐々井の支援団体「南天会」を立ち上げた。会費を集め活動資金をインドに送ったり、会報『龍族』の発行や会員の交流のほか、最近では体調管理などをする人を日本から派遣している。

 佐々井一家が日本でも着々と増え始めた。