満月の夜のお告げ「汝、龍宮へ行け」

 僧になっても色情因縁から逃れられないのか。しかし、苦しみやつらい経験はすべて試されていたのかもしれない。渡印から1年たった満月の美しい晩、思いもよらない奇跡が佐々井の身に起きたのだ。

 インド東部のラージギルにある日本山妙法寺の八木天摂上人のもとでお世話になり、帰国を考え始めたころ、真夜中に肩をものすごい力で押さえられハッと目を覚ました。

「夢じゃないよ。みんな信用してないんだから! 声は出ないし身体は震え、もう恐ろしくて。白ヒゲの老人が現れ、『われは龍樹なり。汝(なんじ)、速やかに南天龍宮城へ行け、南天鉄塔もまたそこに在り』と言い残して姿を消した。あわてふためき、上人をゆすって起こすと“こら、何を寝ぼけているんだ?”とまた寝てしまったんだ

 龍樹菩薩とは大乗仏教の祖となる人物。しかし、龍宮城とは? 朝を待ち上人に改めて相談すると、「龍はナーガ、宮はプーラ……インドのど真ん中にあるマハラシュトラ州のナグプールのことではないか? 南天鉄塔とは文殊菩薩から授かったといわれる経典を所蔵する伝説の塔だろう」と教えてくれた。

 ナグプールとはアンベードカル博士というインドの偉人が、亡くなる2か月前の1956年、数十万人の不可触民とともに仏教に改宗した地であった。博士自身、不可触民の出だが大変な苦労をして学び、奨学金を得てイギリスやアメリカに留学。インド独立後、初の法務大臣となり差別を撤廃した新憲法を制定した。それでも差別はなくならない。そこで人間平等を説く仏教に望みを託したのだ。

「差別と闘ったのはガンジーだと思い込んでいたんだ。ところがナグプールに着いてわかったのは、不可触民の間で絶大な人気を誇るのはアンベードカル博士。ガンジーは不可触民を『ハリ・ジャン(神の子)』ときれいな名前をつけてごまかし、むしろカースト社会を残そうとしていた。博士は国際的にも評価され今では国内でもカーストにかかわらずガンジーよりも偉業が知られている。もっと日本でも研究されてもいいのだが」

 博士の死から12年後、アンベードカルのアの名前も知らなかった佐々井がナグプールに向かったのは、ただの偶然ではなく仏様のお導きだったのかもしれない。

アンベードカル博士を称えるレリーフ。不可触民は、井戸や湧き水に近寄ることを許されなかった 撮影/白石あづさ
すべての写真を見る

生まれ変わったスラム街

「金もないし、知り合いもいない。仏教徒のいる地区を聞いて訪ねたら、バラックのような建物が並んでおる。裸足で太鼓を叩きながら、お題目を唱えて街を歩くと、犬には吠えられ、人々には怪しまれ、石を投げつけられた。それでも雨の日も風の日も休まず家々を回っていたら、次第に聞いてくれるようになったんだ」

 いつしか佐々井に食事を提供するお母さんたちが現れ、冠婚葬祭にも呼ばれるようになったが、不可触民出身の家を訪れるたび、差別や貧困、衛生状態がどれほどひどいか思い知らされた。ゴミ集めや屍体(したい)処理、泥にまみれたきつい仕事しか与えられず、井戸水を飲むことも許されない。ため池の濁った水を飲み残飯をあさり、住む場所も指定され犬のように扱われる。もし反抗すれば殴り殺され、焼き討ちに遭うこともあるが、犯人は、罪に問われず闇に葬られることも多いという。

 仏教に改宗しただけでは、生活そのものはよくならないのだ。そこで佐々井は寄付を集め、学校や病院、養老院などを作り、上位カーストから嫌がらせを受ける人々が団結して抗議できるよう組織作りを進めた。自分に自信を持ち、礼儀を身につけてほしいと日本から空手家を呼んで人々に稽古をつけてもらったこともある。

 当時の佐々井を知るモドガレ・アルチャナさんは語る。

「小さい時、日本とはどんな国かと聞いたら、安全でカースト制度もない国だと。アンベードカル博士は改宗式のすぐ後に亡くなってしまったので、どうしていいかわからない。佐々井さんが来るまで仏教は停滞してたんです。豊かな日本の出身なのに、貧しいインドにわざわざ来て、差別される私たちに寄り添い、闘ってくれました。国籍は関係ないんだ、困っている人がいれば助けるのだと。みんなのお父さんです

 街に希望が生まれた。佐々井は、3千年も支配されてきて、それが当たり前と思い込まされていた人々に「仏教はカーストなんてない。人間らしく生きる権利がある」と説いて回った。特に力を入れたのが子どもの未来だ。「大事なのは教育。自分で考える力だ。お金がないなら、1食、抜いてでも子どもを学校にやりなさい」と親に言い続けた。学ぶことで今を知り未来を考える。いい仕事に就けるし、自分で会社を興すこともできるようになる。治安最悪といわれたバラックの街が半世紀で、お寺を中心として清潔で安全な街に生まれ変わったのだ。

インドラ寺の近所はほとんどが仏教徒。昔、スラム街だったとは信じられないほど美しい街に生まれ変わった。子どもたちも元気よく「ジャイ・ビーム!」と挨拶してくれる 撮影/白石あづさ

 街の変化を見て育ったミリンダ・グダデさんは、「大学を出て日本で就職できたのは、佐々井さんの活動や支援があったから。日本は佐々井さんという偉大な人を生んだ国。夢を叶えた今、今度は自分が村の子たちを支える番だと、15年前、仲間とアンベードカル博士国際教育協会の日本支部を立ち上げ、みんなで給料を村に送り補習授業を始めました。今までに千人の子を受け入れ12人の先生の給料をサポートしてきたんですよ。頼るだけではなく、自分たちで祖国を変えたいという思いは、佐々井さんの背中を見て学びました」と微笑む。

 佐々井は差別と闘う一方で、仏教の聖地であるブッダガヤーの大菩提寺がヒンドゥーの手にあることを知ると、何万人もの仏教徒を引き連れて座り込みのデモや壮絶なハンストを決行した。また、地下核実験が行われた時には弟子たちとともに首都に乗り込んだ。

「国会の前で拡声器から言ってやったんだ。世界で原爆体験をした唯一の国、日本から私は来た。大バカ者の首相よ、出てこーい! 仏陀は笑っているぞ! 人を殺すならまず私を殺せ! ってな。そしたら国会前はシーンと静まり返った。苦しむのはいつの時代も罪なき市民。その市民を命がけで守るのが本当の菩薩道だ」