美智子さまがご興味のあるものとコカリナがぴったりと合っているんです。“樹木”や“音楽”がお好きだったり、子どもに対してもお心を配られていることもあり、長野五輪でコカリナを演奏する子どもたちを見て“吹きたい”と思われたそうです。

 しかも、お出かけされる際には、いつもハンドバッグにコカリナを入れて持ち歩いていて、お時間があれば吹いていらっしゃると女官の方からお聞きしました」(黒坂さん)

 今回のコンサートでは、戦前や戦中に生まれた“戦争体験”のある72歳以上の人たちで構成されるコカリナ合奏団『LIFE』の演奏もあり、美智子さまも楽しまれた。

「『LIFE』については、“シューベルトのアベマリアがとてもよかったです。私も吹いてみたいです”と、おっしゃっていました。

 『LIFE』の方々は戦争を体験しているので、平和の大切さを感じながら演奏されています。

 当時を知る美智子さまも“平和への思い”を強くお持ちでいらっしゃって、“平和な世界にならなければならない”と、常におっしゃっています」(黒坂さん)

「平和」「被災者」への揺るぎないお気持ち

 黒坂さんがそう話すとおり、太平洋戦争中は疎開のために各地を転々とされていた美智子さま。神奈川県藤沢市の鵠沼や群馬県館林市、その後、軽井沢で終戦を迎えていて、疎開中と戦後の3年近くの間に5度の転校を経験されている。

 '14年のお誕生日に際してのおことばでも、「平和」への強いお気持ちを述べられている。

《平和の恩恵に与っている私たち皆が、絶えず平和を志向し、国内外を問わず、争いや苦しみの芽となるものを摘み続ける努力を積み重ねていくことが大切ではないかと考えています》

 そのおことばを体現されている美智子さまは、陛下とともに先の大戦での戦没者への慰霊のため、'05年にサイパン島、'15年に西太平洋の島国・パラオ、'16年にフィリピンを訪問されている。

 そんな“平和への願い”を持たれる一方で、国内の自然災害による被災者に対しても“特別な思い”を抱かれていると黒坂さんは話す。