事件後、母親は憔悴し、

「“私は生きていてもいいのでしょうか”と。お姉ちゃんは、“一朗はここにいたときがいちばん幸せだった”と言っていました」(同代表)

中学入学時の小島一朗容疑者
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祖母との生活を希望

 2015年4月から小島容疑者は、機械のメンテナンスを行う会社に就職。同年8月に愛媛県へと配属された。

「仕事はできるほう。同期の人にも教えていましたから」

 と同社社長。同年9月の法事では、充実の表情を見せていたという。実父が振り返る。

「給料で服を買いました、時計を買いましたとうれしそうに話をしていました。帰り際に、駅でお小遣いに5000円を渡しました。ありがとうと素直にもらってくれてうれしかったのを覚えています」

 だが会社は11か月で退社。地元である愛知県一宮市へと戻ってきた。アパートを借りひとり暮らしを始めたが、貯金は半年で尽き、

「最後はガスも電気も止められていた」(実父)

 そのころ、小島容疑者は父親に「僕は寝る場所があり、ご飯を食べられればいい」と漏らしていたという。とはいえ、それ以外のコミュニケーションを図ることはできず、

「当初は岡崎の祖母宅の近くのアパートを借りる予定でしたが、一朗はそれに納得できず1回目の家出をしてしまったのです。交渉窓口は祖母のみで、祖母と一緒に住むことが、一朗の希望でした」(実父)

 祖母の家での同居生活は、'16年10月ごろから。伯父は、

「ひきこもりがちになってね。家出中、祖母に6000円の掛け時計を送ってきたことがあるんです。家出に使った自転車のチェーンが切れていたのに修理せず、 “おばあちゃんにプレゼントすると約束していたから”と。時計を買ったお金は祖母からもらったお金なのに、ですよ」